ナガシュは車李(しゃき)より暑い砂漠の国。
今が一番涼しいからって、北隣国の摩雲(まう)に、いつものように騎馬軍団で移動することになった。
みんな白い布をかぶって、『子供』と『日焼けに弱い白い人』を真ん中にして夜に出たの。
族長のガリさんも白いから、真ん中。いつもは先頭を走ってるのに。黒い戦士より厳重に布をかぶってるから戦えないのね。
サル・シュくんもそう。
私ももちろんサル・シュくんの腕の中に居るけど、私よりサル・シュくんのほうが白いから、大変そう。
朝日でも指先がしもやけみたいになってたもの。ここの太陽、本当に殺人光線よね。
「あれはなんだ!」
誰かが叫んだ。
ナニ?
周りがざわついた。
かぶせられた布から少しだけ外が見える。
みんなが指さしてる、後ろ? 誰か追い駆けてきたの?
サル・シュくんも、止まって馬首を返したから、見えた。
見張るかす限り青空の筈なのに、黒い……
地面から空まで、黒い!
「『その世(地獄)』の雲だっ!」
誰かが叫ぶ。
砂嵐?
こんなところで?
砂嵐って、あんなに真っ黒に、なるの?
ちがう、あれは、竜巻っ?
あんな、大きな?
いつもの、軽く煙る砂嵐じゃなかった。
息もできないぐらい、長くて激しくて、ガリさんの末っ子の、マッちゃんが飛んで行くのは、見えた。
でも、何も、できなかった。
できなかったの……
「じっとしてろハル! 俺たちが死ぬ!」
サル・シュくんが私を抱き締めて、ただ抱き締めて、馬の影に伏せてた。
摩雲(まう)まで、たどり着いた戦士はボロボロだった。みんな、摩雲までの水は馬に積んでたから、大人はギリギリ助かったみたい。
砂嵐でちりぢりになって、とにかく、星を見て進めた戦士はそこにいたけど……子供たちが……誰の馬にも、子供が乗ってない……マキメイさんも、半狂乱になって、自分の子を探してた。他の女の人たちも。
みんな、二人以上は馬に乗せないから。
女の人はわが子を抱いていなかったの。
『誰か』が子どもを抱えていたの。
その『誰か』は、自分の命を優先した。
子どもが飛んで行くのを、止めなかった。
竜巻だったとしか思えないすさまじい上昇気流、突風。
飛んで行った……マッちゃん…………誰も、助けに、行かなかった。
私も、行けなかった……
サル・シュ君がギュッと私のおなかを抱き締めたから、走っていくことは、できなかったの。
ガリさんの子どもも、全員、飛んで行った……
ううん。
『飛んで行った』のではなかったのかもしれない。
砂に埋もれただけかもしれない。
大人は、あがいて顔を出せたけど、数一〇分の砂嵐だった。
埋まったら、息ができなくて、あがけなくて…………砂漠に呑み込まれた……
誰も、探さなかった。
影を作っていた布が吹っ飛んでいたから、とにかく街まで走るしかなかった。
自分が、死ぬから。
この砂漠で焼け死ぬから。
子どもは砂漠に置き去りになった。
「サル・シュっ! 無事か?」
「族長は?」
「ガリは水場に運んだ。お前も、行け。ハルも限界だ……ろう……」
サル・シュくんが、私をリョウさんの馬に乗せた。
「ナニ? サル・シュ君……」
ようやく市場が立ちだした広場のど真ん中。
街門まで真っ直ぐ大通り。
プロカメラマンが撮影した風景写真みたいに、消失点の見える日干し煉瓦の街。
その向こうに、砂漠が見える。
サル・シュ君の長い髪が見える。
簪も吹っ飛んだから、全部髪が降りてて、砂にまみれてツヤも何もない、髪。
「サル・シュ?」
リョウさんさえ、怪訝に思った通り、サル・シュ君は、馬のツノを強く握り込んだ。
そのまま、走って、行った。
屋台の屋根になっている布をひったくってかぶっていく。
「サル・シュっ! どこにいくっ!」
旅人が酌んでいた水袋をいくつもかっさらって、街の門を、出て、行った。
キラ・シ全員が、呆然と見送った。
「とめろっ! サル・シュを止めろっ!」
リョウさんだけが叫んでいた。
「無理だ、リョウ・カ。サル・シュがキラ・シ最速だ……
お前も水場で休め………………もう、どうしようもない……」
レイ・カさんが、冷静に次の行動をうながしてくる。
サル・シュくんの方を見もしなかった。リョウさんの体を、門の反対側に向けようと、肩をつかんで押していく。
サル・シュくんが見えなくて、リョウさんは叫ぶのをやめた。
やめた。
レイ・カさんと一緒に、水場に歩いていく。
相変わらず、いつも冷静な人ね。
どうしようもない?
そりゃ、そう、よね……
一番速いサル・シュ君を追い駆けられるキラ・シなんて、いない。
サル・シュくんの行動を止められる人なんて、いない。
「リン・シュをお願いっ! サル・シュくんっ!」
私は、それだけを、叫べた。
もう聞こえないだろうけど、砂漠に消えかけた彼が、右手を上げてくれたのは、見えた。
届いた? 聞こえた?
お願い、リンを連れてきて! 絶対大丈夫! 絶対生きてる!
やっと父親に会えたのよ!
やっと、父親に鍛練を受けられたのよ!
キラ・シ最強の戦士になるのよっ!
「リン・シュ? まさか、子を救いに?」
リョウさんが、呆然と呟いた。
その場にいた全員がうなだれる。
誰も、砂漠には戻らなかった。
誰も、サル・シュくんに続かなかった。
誰も、子供を馬に乗せてはいなかった。
キラ・シ二代目、全滅……
ル・ア君さえ、いない。
勿論、『制圧』の二代目はいるから、キラ・シが滅びるわけではないけど……
ル・マちゃん…………ごめんなさい………………
ル・マちゃんの命をかけた跡継ぎだったのに…………あんなに私は泣いたのに……
今も、涙は出るのに、私は、笑ってた。
きっと、サル・シュ君がリンを連れ帰ってきてくれる。
私のリンは大丈夫!
そのことだけが、確信できて、『雨』は降らなかった。
摩雲(まう)も、ナガシュよりはマシだけど、強い日差し。
砂嵐に遭ったのも、ナガシュのど真ん中じゃないだけ、マシだったかしら?
砂漠だったから、吹っ飛んでも、石畳に叩きつけられるよりは、マシだったわよね?
生きてるわよね?
みんな、まだ、生きてるわよね?
「ハルも、シロに入れ。顔が赤くなっている。あとで痛むぞ」
レイ・カさんに親指で指さされて、お城に入った。私のかけらがサル・シュくんと一緒に砂漠を走ってるみたい。ドキドキして、座ってられない。
握りすぎてた指が痛くなって、ようやく、手を開いたら、今度は、ふわっとして、誰かがベンチまで運んでくれた。
エントランスの、屋根の下の池で、キラ・シが丸太みたいに転がってる。
ガリさんさえ、仰向けに倒れ込んでた。
立って動いているのはリョウさんとか、リョウさんより黒い人達、大きな人達。体も大きいから、体内水分量も多くて、ちょっとラクみたい。
サル・シュくんは細いのに、白いのに……ガリさんより、白い、のに……
日干し煉瓦のお城に笑い声が響いてた。
「ハルナ様、お部屋を整えました。お休みになってくださいませ……」
マキメイさんが来てくれて初めて、その笑い声が私の口から出てることに気付いた。
ナニがおかしいのかしら?
リンが助かることが嬉しい? 嬉しいわよ。
たった一人のサル・シュ君の子供。
絶対、サル・シュ君は死なないもの。彼が、連れ帰ってきてくれる。
絶対、大丈夫。
あの時、一度も私を振り返らずに、サル・シュ君は砂漠に戻った。
リンを助けに、駆け抜けて行った。
ガリさんも、リョウさんも子供を助けには、行かなかったのに。
ガリさんも白いから。もう、この砂漠で力が無くなってた。
キラ・シの誰もが、自分が生き残ることに必死になってた。
もう、子供はたくさんいるから。
世界中に幾らでもいるから。
みんな、子供を、守らなかったのね……
砂の中に消えていくマッちゃんの悲鳴が消えない……
三日後に、サル・シュくんが帰って来た!
ずっとお城の玄関前で待ってた私には、見えた。
サル・シュ君の右目が白くなってた。
見える距離じゃなかったのに、見えた。
白くなりかけてる左目で、私を見て、笑ってくれた。
笑って、くれた。
いつもみたいに右手を上げて……笑ってくれた!
「サル・シュくんっ!」
馬が門を入って歩いてくる。その上に、サル・シュくんが布を抱えて前かがみ。
私よりキラ・シは早いから、みんな、サル・シュくんのまわりに集まって……
そこで彼が顔を挙げて、私を見てくれた。
早く、私を馬に抱き上げて?
手を伸ばしたのに……
そこに、サル・シュくんがいたのに。
彼は、消えた。
え?
馬が、ぽくぽく歩いて、水飲み場に顔を突っ込もうとして、倒れた。
サル・シュくんは、馬のあっちに落ちたみたい。
布を胸に抱くように、仰向けに倒れていた。
周り中で悲鳴があがり、キラ・シがサル・シュくんに群がり、みんなが首を横に振る。
頭から石畳に血が広がっていく。
「ウソ……」
あのサル・シュくんが、受け身を取らずに倒れるなんて!
「ウソよっ」
待って……触らないで! 私のサル・シュくんよ! 触らないでっ!
どうして?
服を、着て……ない…………
胸に布を抱きしめて、動か……ない…………
「サル・シュくんっ! リンなのっ? リンを連れてきたのっ!」
サル・シュくんは、息をしてなかった。
真っ赤にただれた肌は、はち切れて血を滴らせてた……
両目は閉じてた。さっきまで開いてたのに!
服を全部子供にやって……自分の影で守って、来た…………
きっと、落ちて受け身をとっていたとしても、生きてなかった……
「ハルっ! 中天だぞっ! 影に入れっ!」
リョウさんや戦士が駆けてきて、サル・シュくんを影に運んでくれる。
「サル・シュくんっ! 息をしてっ! 息をしてっ! 嘘でしょっ!」
全身が火傷で真っ赤で……水ぶくれも出て…………もうすこし焼けたら、顔の判別もつかなかった。
死んでる。
頭を打って?
違う。
彼が受け身を取らないはずが無い。
死んだから、落ちたんだ。
あそこまでは、生きてた。
手をあげてくれた。
笑って、暮れたのに……
サル・シュくんが、死んで…………死んだ……っ!
泣いてる場合じゃない! リンだって瀕死の筈。早く水場に……
「大丈夫、サル・シュくん…………リンはちゃんと育てるから…………」
そう、思った、のに…………
サル・シュくんが抱いてた布から出てきたのは、ル・アくんだった。
ガリさんも、リョウさんも、目を見開いてる。
「どうして……サル・シュくんっ…………っ…………なんで、リンじゃないのっ?」
もう一度見たサル・シュ君は、もっと赤くただれて、もう……顔の判別が、つかなかった。
揺さぶったら、地面についていた髪がごそりと抜けて、上を向いているのか、うつむいているのかもわからなくなった。
どんどんただれていく皮膚、血が砂にしみこんでいく。
リョウさんがル・アくんを、屋敷の中に連れて行った。
サル・シュくんはここに放置されてるのに……
木の影なのに、凄い勢いで腐っていく……ハエが来て、蛆が沸いて…………肉がドロッと落ちて白い骨が現れた………………
どんな顔を、してたかな…………サル・シュ君……
白くて、綺麗だったのに…………なんて、赤い…………
赤い……
気がついたらベッドの中だった。
ガリさんがそばで武具の手入れをしてる。
ここは? 知らない部屋。どこ?
そう、摩雲(まう)のお城? ……摩雲、だよね?
「サル・シュくんは?」
「死んだ」
「サル・シュくんはっ?」
部屋の窓から外を見たら、城門が見えた。
あっち。
あそこにサル・シュくんが寝てる。
「まて、ハル! サル・シュはもうあそこにいないっ!」
「いないって、じゃあどこに!」
「ハルが持ってる」
「なにを……」
「ずっと、離さなかったのは、ハルだ」
私が、右手に…………血まみれの骸骨を抱いてた。
血と、蛆と、腐臭。虹彩の白くなった眼球がしわくちゃ。
「洗ってやる。盗らないから、貸せ。その間に水を浴びて来い」
重たい……頭蓋骨…………
なんで?
「ハル……」
「どうしてサル・シュくんがあなたの子を救うのよっ!」
ガリさんを突き飛ばしたけど、ただ、くちびるを噛んで立ってるだけ。
あの時、ガリさんが『ル・アを助けろ』と言ったわけじゃなかった。
ガリさんも瀕死だった。
すぐに水場に運ばれたから、サル・シュくんが砂漠に駆けて行ったことすら、ガリさんは知らなかった筈。
私を乗せてる分、サル・シュくんの馬は遅くて、先頭を駆け抜けたガリさんとは、砂嵐のあと、しゃべってもいなかった。
ガリさんに、命令されたわけじゃ……ない…………
サル・シュくんが、自分で、ル・アくんを助けたんだ!
どうしてっ!
私を振り返らなかったあの時のサル・シュ君の後ろ姿。
あれは、ル・ア君を、探しに行ったの?
どうして?
どうして自分の子じゃないの?
どうして私の子じゃないの?
どうしてリンじゃないの?
どうして?
ガリさんが、少しも揺らいでくれないのがっ、肚立だしいっ!
少しぐらい叩かれて動いてよっ! 押し下がってよっ!
そんなっ! 壁みたいに立ってないでっ! 少しは傷ついてよっ!
「いなくなったっ! サル・シュくんがいなくなったっ! サル・シュくんの子も居なくなったっ! もうっ産まれないっ! サル・シュくんの子なんて、産まれないっ! どうしてぇっ!」
また、豪雨が世界を覆った。
ここは砂漠なのに……
立ってるだけで渇き死にする地獄なのに……
雨が……やまない……
何も、聞こえ、ない……
【ハルナを見つめるル・ア】
「ル・ア、ハルに近寄るな」
ハルがこけそうになったから支えようとしたら、リョウ・カに止められた。父上がハルを抱き上げて、部屋に連れて行く。
あんなにいつも笑っていたハルが、泣きはらして真っ赤な目をして、俺を、睨む。サル・シュの骸骨を抱き締めて、ふらふらしてる。
髪が真っ白。
サル・シュの死体のそばにいた間に、全部白くなったって。
もう洗われて綺麗だけど、サル・シュのそばに三日も座り込んでたって。
腐りだしたサル・シュの頭蓋骨から肉を手で払って抱き締めたって。
「だって、サル・シュ君は白くないと……」ってケラケラ笑ったのが凄い怖かった、って戦士たちが怯えてた。
みんな、影で、ハルを人指し指で指さしてる。
人指し指は呪い指。
指さすことで呪いがかかる。だからキラ・シは、『指さす』時は人指し指と中指を揃えて伸ばすか、親指で指し示す。
『ネスティスガロウ(お前は地の底で永遠に苦しめ)』。
人指し指の呪いの言葉。
みんな、そこまでは、唱えてないけど。
凶つ者(凶つ者)を追い払う呪いでもあるから、ハルを怖がってるから、みんな、ハルを人指し指で指さす。
凶つ者に憑かれた、って。
こっちに来ないでくれ、って。
今も、白い骨を抱いてるハル。
ぼさぼさの白髪で血走った目の周りも真っ黒。肌もどす黒くて、知ってないと、ハルだとわからない。
「あなたが死ねば良かったのに……」
そう言って、俺を、睨む……
歩くだけマシだ、ってリョウ・カはため息をついた。
ハルが失神した後、サル・シュの体は、砂漠に持って行ったって。
禿鷹についばまれて天に帰っただろう、って。ハルが放さなかった骸骨だけは、持たせてベッドに寝かせたんだ。今は洗ってるから綺麗だけど、当時は腐肉と蛆で凄いことになってた。
子どもを抱くように、サル・シュの骸骨を抱き締めてふらつくハル。
彼女は、サル・シュの死に目に会えたらしい。
俺は、サル・シュに抱えられてはいたけど、死に目には、会えなかった。
死に目に……会えなかった…………
あんなに、育ててくれたのに……
なんでも教えてくれたのに……
父上より、長い間一緒にいたのに!
「ハルはル・マが死んだときもああだった。しばらくすれば治るから、近寄るな。特に、ル・アはな」
リョウ・カがまたため息をつく。でも、俺の腕を握る手は強い。父上を追い駆けることすら、阻まれてる。
父上が、ハルを慰めてるから。その邪魔をするな、ってこと。
最近ずっと、父上はハルと一緒にいる。俺はトの隙間から、二人を見ることしか、できない。俺を見たら、ハルがわめきだすから。
俺がこのシロで初めて目覚めたとき、飛び込んで来たハルが俺を何度も殴った。
凄い悲鳴だった。
ハルの涙で溺れるかと思った。
腐肉のついた骸骨を振り回して、ハルが骨になったみたいにげっそり痩せて、泣き叫んでた。
何を言ってるのかはわからないけど、でも、わかる。
父上が抱き上げて連れて出た。
その肩から、ハルの腕が真っ直ぐに俺に伸ばされてた。白い人指し指が、ずっと俺を差してた。すぐに、リョウ・カがそれを握ってしまったけど、ハルの金切り声がずっとシロに響いてた。
俺は、ハルに呪われて当然だ。
「どうして……サル・シュは俺を助けたの?」
ハルが怒るのは正しいよ。
「どうして? 見つけたのがル・アだからだろう? それはハルに何度も言ったのだがな……」
ハルの子だけではなく、全部の子どもがいなくなったのだから……って、リョウ・カがため息をつく。
「違うよ、リン・シュもいたんだ。一緒に馬の影にいたんだよ」
リョウ・カの目が見開かれた。
「……どういうことだ?」
物陰に連れて行かれた。
壁の隅に、俺の太股より太い腕をつかれて、真っ暗闇。リョウ・カの目だけがギラリと光った。
「サル・シュは、リン・シュが生きてるのを知ってた。ちゃんと、リン・シュを抱きしめてた。でも、馬に乗せたのは俺だったんだ」
『すまん、リンシュ!』ってサル・シュが叫んだのは、聞こえてた。
俺はそのあと布にくるまれたから、何も見えなかったけど、聞こえてた。
父上、どうしてっ! ってサル・シュを呼んでたリン・シュの声が耳から離れない。
「どうして? ってサル・シュに聞いたら、『二人乗せたら全員死ぬ』って……」
なら、サル・シュが助けるのはリン・シュじゃないの? ……と思ったけど…………言えなかった。
俺が、置いていかれるから……
サル・シュは、自分の服を脱いで俺にかぶせて、布でくるんで、馬を走らせた……
ハルが怒るのは当然だ…………
サル・シュは、リン・シュを助けるべきだった。自分の子なのに!
『キラ・シのために生きろ、ル・ア…………
お前を産むために、ル・マが死んだ。ガリメキアもハルも泣いた。
お前がキラ・シを救う、と先見をしたから、ル・マは、自分の命を賭けてお前を産んだんだ。
生き残れ。
ナニがあっても』
それが、サル・シュの最後の言葉だった。
あの時もう、サル・シュの右目は白く濁ってた。砂漠の反射で目が潰れるって聞いてたけど、こんなに、なるんだ? って、聞くこともできなかった。ただ、うなずいただけ。
城についたときには、両目とも見えてなかっただろう、って。よくたどり着いた、って、さすがサル・シュだ、って、みんな騒いでた。
リョウ・カがいつのまにかいなくなってた。
俺は座り込んでた。
大きな気配がそばに……
「ル・ア、サル・シュの分まで生きろよ?」
リョウ・カより大きなショウ・キが、俺の頭を撫でた。
何回も、みんなに言われた。ただ、うなずくしかない。
「サル・シュは……なんで、俺を助けに来たの?」
「お前が、ル・ア。
キラ・シを助ける、と、ル・マが予言したからだ」
そっか……ショウ・キも知ってるんだ?
キラ・シのみんなが、知ってるんだ?
だから、俺を助けた?
自分の子より?
ハルの悲鳴がまた聞こえた。ショウ・キも階段の上を振り仰ぐ。
「悲鳴が出るだけ、元気でいい」
ショウ・キは何度かうなずいた。
そういう考え方もあるんだ。そっか……
悲鳴を出せるだけ、マシなんだ………………そうだよね……
怪我をしても馬鹿話して俺を笑わせようとしてたサル・シュが、あの砂漠では何もしゃべらなかった。たまに、水袋を押しつけられるだけ。他はくるまれてて何も見えなかった。
灼かったけど、焼けはしなかった。
サル・シュみたいに、焼けただれは……しなかった……
サル・シュは、悲鳴すら……上げなかった……
ナニカ聞こえたら、俺はきっと、あのくるまれてるのを抜け出そうとした。俺だけ助けられるなんていやだから、絶対、サル・シュに服を着せた。
そして、二人とも、死んだだろう。
なんて静かだった、サル・シュ。
山では、サル・シュがバカばっかりしてた。
おしゃべりで、いつも笑っててにぎやかだった。
「黙れないの?」
「食べることに使ってないんだから喋るだろ」
そんなバカを、言ってた、のに……
笛の音が、聞こえてた。
ヒュー……ヒュー……って…………あれは、サル・シュの呼吸音だ。山で、死にかけの戦士が、あんな息をしてた。
聞こえてた、のに…………俺も意識がほとんどなかったから、街について、誰かが囃してるのかと思ってた。
今なら、わかったのに。
俺に、ナニができただろう……
俺に、ナニができるだろう……
「ねぇル・アくん…………ごめんなさいね、サル・シュくんが死んで、私、どうかしちゃってて……」
ようやく笑ってくれるようになったハルに、みんながホッとしてたころ、話しかけてきた。
「仕方ないよ………………あんな時だったもの」
父上がそこで見てる。
ハルはもう、骸骨を持っていない。
昨日、街門の上から砂漠に投げた、って聞いた。
この大陸では、葬儀は『埋める』のが基本みたいだけど、山では、みんな鳥葬だ。『埋める』のは、倣いに反した者と、凶つ者だけ。
だから、サル・シュの体も、砂漠に放置。ハルが骸骨を砂に投げたのも、キラ・シの倣い。
やっと、手放してくれた……ハル。
俺を守って死んだサル・シュの骸骨。白く洗われて、綺麗だった。
「サル・シュくん、いつも白くて綺麗ね……」
骸骨にキスしたハルが、怖くて、悲しくて、胸が痛かった。
そんなハルを見て、キラ・シ一巨漢のショウ・キまで、泣いてた。
でも、戻ったんだ。
前みたいに、みんなに笑い掛けてくれるようになった。
ハルが笑うから、みんな笑った。
朝日が登ったみたい。
ハルは最近、ちゃんと食事もしてるから、前みたいに白くて綺麗。
ただ、髪は真っ白のまま。
顔も、ずいぶん戻ってきたけど、目の下はちょっと黒い。
「サル・シュくん……最後にナニカ言ってた? 君と会ったあと、彼、どうだった? 聞かせてくれる?」
誰にも言うな、ってリョウ・カに言われたけど、でも…………全部、話した。
俺がハルでも聞きたいと思うから。
「そう……」
ハルの手が、俺の額を撫でる。
その手で、ハルのスカートしか見えなくなった。
「ガリさんに良く似て……白いわね……あなた」
サル・シュの方がもっと白いけど……って、言えな……かった。
「リンだって同じくらい白かったんだから…………生き残れた筈なのに……」
そう、だろうと、思う。
あそこでサル・シュがリン・シュを連れて行ったら、リン・シュは生き残った筈だ。
ようやく、見えたハル顔はもう、笑って、なかった。
以前は、しゃがみ込んで俺と目線を合わせてくれたのに、立ったまま、見下ろされる。
真っ直ぐに俺を見る、その目は黒いのに、あの時の、サル・シュの白い目を思い出した。
「死んでもキラ・シを助けなさいよ」
「う……ん…………」
それは、絶対に、する。
「ル・アくん…………そうじゃないと、ル・マちゃんも、サル・シュくんもリンも、子供たちも報われないわ」
それはもう、何回も言われた。
「あなたはガリさんも、殺すの…………それがル・マちゃんの先見だった……」
「え……?」
そんなのは……知らない…………そんなこと、ある筈ない……
「私が愛した人を、あなたが全部殺したの」
刀に、貫かれたかのよう。
「嘘つきには、私が百石(ひゃくせき)、投げるからね」
ハルの目から、血の涙があふれて落ちた。
俺に、ナニができるだろう?
コメント