【赤狼】女子高生軍師、富士山を割る。149 ~ナガシュは車李より暑い砂漠の国。~”

 

 

 

 

  

 

  

 

 ナガシュは車李(しゃき)より暑い砂漠の国。

 今が一番涼しいからって、北隣国の摩雲(まう)に、いつものように騎馬軍団で移動することになった。

 みんな白い布をかぶって、『子供』と『日焼けに弱い白い人』を真ん中にして夜に出たの。

 族長のガリさんも白いから、真ん中。いつもは先頭を走ってるのに。黒い戦士より厳重に布をかぶってるから戦えないのね。

 サル・シュくんもそう。

 私ももちろんサル・シュくんの腕の中に居るけど、私よりサル・シュくんのほうが白いから、大変そう。

 朝日でも指先がしもやけみたいになってたもの。ここの太陽、本当に殺人光線よね。

「あれはなんだ!」

 誰かが叫んだ。

 ナニ?

 周りがざわついた。

 かぶせられた布から少しだけ外が見える。

 みんなが指さしてる、後ろ? 誰か追い駆けてきたの?

 サル・シュくんも、止まって馬首を返したから、見えた。

 見張るかす限り青空の筈なのに、黒い……

 地面から空まで、黒い!

「『その世(地獄)』の雲だっ!」

 誰かが叫ぶ。

 砂嵐?

 こんなところで?

 砂嵐って、あんなに真っ黒に、なるの?

 ちがう、あれは、竜巻っ?

 あんな、大きな?

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 いつもの、軽く煙る砂嵐じゃなかった。

 息もできないぐらい、長くて激しくて、ガリさんの末っ子の、マッちゃんが飛んで行くのは、見えた。

 でも、何も、できなかった。

 できなかったの……

「じっとしてろハル! 俺たちが死ぬ!」

 サル・シュくんが私を抱き締めて、ただ抱き締めて、馬の影に伏せてた。

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 摩雲(まう)まで、たどり着いた戦士はボロボロだった。みんな、摩雲までの水は馬に積んでたから、大人はギリギリ助かったみたい。

 砂嵐でちりぢりになって、とにかく、星を見て進めた戦士はそこにいたけど……子供たちが……誰の馬にも、子供が乗ってない……マキメイさんも、半狂乱になって、自分の子を探してた。他の女の人たちも。

 みんな、二人以上は馬に乗せないから。

 女の人はわが子を抱いていなかったの。

『誰か』が子どもを抱えていたの。

 その『誰か』は、自分の命を優先した。

 子どもが飛んで行くのを、止めなかった。

 竜巻だったとしか思えないすさまじい上昇気流、突風。

 飛んで行った……マッちゃん…………誰も、助けに、行かなかった。

 私も、行けなかった……

 サル・シュ君がギュッと私のおなかを抱き締めたから、走っていくことは、できなかったの。

 ガリさんの子どもも、全員、飛んで行った……

 ううん。

『飛んで行った』のではなかったのかもしれない。

 砂に埋もれただけかもしれない。

 大人は、あがいて顔を出せたけど、数一〇分の砂嵐だった。

 埋まったら、息ができなくて、あがけなくて…………砂漠に呑み込まれた……

 誰も、探さなかった。

 影を作っていた布が吹っ飛んでいたから、とにかく街まで走るしかなかった。

 自分が、死ぬから。

 この砂漠で焼け死ぬから。

 子どもは砂漠に置き去りになった。

「サル・シュっ! 無事か?」

「族長は?」

「ガリは水場に運んだ。お前も、行け。ハルも限界だ……ろう……」

 サル・シュくんが、私をリョウさんの馬に乗せた。

「ナニ? サル・シュ君……」

 ようやく市場が立ちだした広場のど真ん中。

 街門まで真っ直ぐ大通り。

 プロカメラマンが撮影した風景写真みたいに、消失点の見える日干し煉瓦の街。

 その向こうに、砂漠が見える。

 サル・シュ君の長い髪が見える。

 簪も吹っ飛んだから、全部髪が降りてて、砂にまみれてツヤも何もない、髪。

「サル・シュ?」

 リョウさんさえ、怪訝に思った通り、サル・シュ君は、馬のツノを強く握り込んだ。

 そのまま、走って、行った。

 屋台の屋根になっている布をひったくってかぶっていく。

「サル・シュっ! どこにいくっ!」

 旅人が酌んでいた水袋をいくつもかっさらって、街の門を、出て、行った。

 キラ・シ全員が、呆然と見送った。

「とめろっ! サル・シュを止めろっ!」

 リョウさんだけが叫んでいた。

「無理だ、リョウ・カ。サル・シュがキラ・シ最速だ……

 お前も水場で休め………………もう、どうしようもない……」

 レイ・カさんが、冷静に次の行動をうながしてくる。

 サル・シュくんの方を見もしなかった。リョウさんの体を、門の反対側に向けようと、肩をつかんで押していく。

 サル・シュくんが見えなくて、リョウさんは叫ぶのをやめた。

 やめた。

 レイ・カさんと一緒に、水場に歩いていく。

 相変わらず、いつも冷静な人ね。

 どうしようもない?

 そりゃ、そう、よね……

 一番速いサル・シュ君を追い駆けられるキラ・シなんて、いない。

 サル・シュくんの行動を止められる人なんて、いない。

「リン・シュをお願いっ! サル・シュくんっ!」

 私は、それだけを、叫べた。

 もう聞こえないだろうけど、砂漠に消えかけた彼が、右手を上げてくれたのは、見えた。

 届いた? 聞こえた?

 お願い、リンを連れてきて! 絶対大丈夫! 絶対生きてる!

 やっと父親に会えたのよ!

 やっと、父親に鍛練を受けられたのよ!

 キラ・シ最強の戦士になるのよっ!

「リン・シュ? まさか、子を救いに?」

 リョウさんが、呆然と呟いた。

 その場にいた全員がうなだれる。

 誰も、砂漠には戻らなかった。

 誰も、サル・シュくんに続かなかった。

 誰も、子供を馬に乗せてはいなかった。

 キラ・シ二代目、全滅……

 ル・ア君さえ、いない。

 勿論、『制圧』の二代目はいるから、キラ・シが滅びるわけではないけど……

 ル・マちゃん…………ごめんなさい………………

 ル・マちゃんの命をかけた跡継ぎだったのに…………あんなに私は泣いたのに……

 今も、涙は出るのに、私は、笑ってた。

 きっと、サル・シュ君がリンを連れ帰ってきてくれる。

 私のリンは大丈夫!

 そのことだけが、確信できて、『雨』は降らなかった。

  

 

  

 

  

 

 摩雲(まう)も、ナガシュよりはマシだけど、強い日差し。

 砂嵐に遭ったのも、ナガシュのど真ん中じゃないだけ、マシだったかしら?

 砂漠だったから、吹っ飛んでも、石畳に叩きつけられるよりは、マシだったわよね?

 生きてるわよね?

 みんな、まだ、生きてるわよね?

「ハルも、シロに入れ。顔が赤くなっている。あとで痛むぞ」

 レイ・カさんに親指で指さされて、お城に入った。私のかけらがサル・シュくんと一緒に砂漠を走ってるみたい。ドキドキして、座ってられない。

 握りすぎてた指が痛くなって、ようやく、手を開いたら、今度は、ふわっとして、誰かがベンチまで運んでくれた。

 エントランスの、屋根の下の池で、キラ・シが丸太みたいに転がってる。

 ガリさんさえ、仰向けに倒れ込んでた。

 立って動いているのはリョウさんとか、リョウさんより黒い人達、大きな人達。体も大きいから、体内水分量も多くて、ちょっとラクみたい。

 サル・シュくんは細いのに、白いのに……ガリさんより、白い、のに……

 日干し煉瓦のお城に笑い声が響いてた。

「ハルナ様、お部屋を整えました。お休みになってくださいませ……」

 マキメイさんが来てくれて初めて、その笑い声が私の口から出てることに気付いた。

 ナニがおかしいのかしら?

 リンが助かることが嬉しい? 嬉しいわよ。

 たった一人のサル・シュ君の子供。

 絶対、サル・シュ君は死なないもの。彼が、連れ帰ってきてくれる。

 絶対、大丈夫。

 あの時、一度も私を振り返らずに、サル・シュ君は砂漠に戻った。

 リンを助けに、駆け抜けて行った。

 ガリさんも、リョウさんも子供を助けには、行かなかったのに。

 ガリさんも白いから。もう、この砂漠で力が無くなってた。

 キラ・シの誰もが、自分が生き残ることに必死になってた。

 もう、子供はたくさんいるから。

 世界中に幾らでもいるから。

 みんな、子供を、守らなかったのね……

 砂の中に消えていくマッちゃんの悲鳴が消えない……

  

 

  

 

  

 

 三日後に、サル・シュくんが帰って来た!

 ずっとお城の玄関前で待ってた私には、見えた。

 サル・シュ君の右目が白くなってた。

 見える距離じゃなかったのに、見えた。

 白くなりかけてる左目で、私を見て、笑ってくれた。

 笑って、くれた。

 いつもみたいに右手を上げて……笑ってくれた!

「サル・シュくんっ!」

 馬が門を入って歩いてくる。その上に、サル・シュくんが布を抱えて前かがみ。

 私よりキラ・シは早いから、みんな、サル・シュくんのまわりに集まって……

 そこで彼が顔を挙げて、私を見てくれた。

 早く、私を馬に抱き上げて?

 手を伸ばしたのに……

 そこに、サル・シュくんがいたのに。

 彼は、消えた。

 え?

 馬が、ぽくぽく歩いて、水飲み場に顔を突っ込もうとして、倒れた。

 サル・シュくんは、馬のあっちに落ちたみたい。

 布を胸に抱くように、仰向けに倒れていた。

 周り中で悲鳴があがり、キラ・シがサル・シュくんに群がり、みんなが首を横に振る。

 頭から石畳に血が広がっていく。

「ウソ……」

 あのサル・シュくんが、受け身を取らずに倒れるなんて!

「ウソよっ」

 待って……触らないで! 私のサル・シュくんよ! 触らないでっ!

 どうして?

 服を、着て……ない…………

 胸に布を抱きしめて、動か……ない…………

「サル・シュくんっ! リンなのっ? リンを連れてきたのっ!」

 サル・シュくんは、息をしてなかった。

 真っ赤にただれた肌は、はち切れて血を滴らせてた……

 両目は閉じてた。さっきまで開いてたのに!

 服を全部子供にやって……自分の影で守って、来た…………

 きっと、落ちて受け身をとっていたとしても、生きてなかった……

「ハルっ! 中天だぞっ! 影に入れっ!」

 リョウさんや戦士が駆けてきて、サル・シュくんを影に運んでくれる。

「サル・シュくんっ! 息をしてっ! 息をしてっ! 嘘でしょっ!」

 全身が火傷で真っ赤で……水ぶくれも出て…………もうすこし焼けたら、顔の判別もつかなかった。

 死んでる。

 頭を打って?

 違う。

 彼が受け身を取らないはずが無い。

 死んだから、落ちたんだ。

 あそこまでは、生きてた。

 手をあげてくれた。

 笑って、暮れたのに……

 サル・シュくんが、死んで…………死んだ……っ!

  

 

  

 

  

 

 泣いてる場合じゃない! リンだって瀕死の筈。早く水場に……

「大丈夫、サル・シュくん…………リンはちゃんと育てるから…………」

 そう、思った、のに…………

 サル・シュくんが抱いてた布から出てきたのは、ル・アくんだった。

 ガリさんも、リョウさんも、目を見開いてる。

  

 

  

 

  

 

「どうして……サル・シュくんっ…………っ…………なんで、リンじゃないのっ?」

 もう一度見たサル・シュ君は、もっと赤くただれて、もう……顔の判別が、つかなかった。

 揺さぶったら、地面についていた髪がごそりと抜けて、上を向いているのか、うつむいているのかもわからなくなった。

 どんどんただれていく皮膚、血が砂にしみこんでいく。

 リョウさんがル・アくんを、屋敷の中に連れて行った。

 サル・シュくんはここに放置されてるのに……

 木の影なのに、凄い勢いで腐っていく……ハエが来て、蛆が沸いて…………肉がドロッと落ちて白い骨が現れた………………

 どんな顔を、してたかな…………サル・シュ君……

 白くて、綺麗だったのに…………なんて、赤い…………

 赤い……

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 気がついたらベッドの中だった。

 ガリさんがそばで武具の手入れをしてる。

 ここは? 知らない部屋。どこ?

 そう、摩雲(まう)のお城? ……摩雲、だよね?

「サル・シュくんは?」

「死んだ」

「サル・シュくんはっ?」

 部屋の窓から外を見たら、城門が見えた。

 あっち。

 あそこにサル・シュくんが寝てる。

「まて、ハル! サル・シュはもうあそこにいないっ!」

「いないって、じゃあどこに!」

「ハルが持ってる」

「なにを……」

「ずっと、離さなかったのは、ハルだ」

 私が、右手に…………血まみれの骸骨を抱いてた。

 血と、蛆と、腐臭。虹彩の白くなった眼球がしわくちゃ。

「洗ってやる。盗らないから、貸せ。その間に水を浴びて来い」

 重たい……頭蓋骨…………

 なんで?

「ハル……」

「どうしてサル・シュくんがあなたの子を救うのよっ!」

 ガリさんを突き飛ばしたけど、ただ、くちびるを噛んで立ってるだけ。

 あの時、ガリさんが『ル・アを助けろ』と言ったわけじゃなかった。

 ガリさんも瀕死だった。

 すぐに水場に運ばれたから、サル・シュくんが砂漠に駆けて行ったことすら、ガリさんは知らなかった筈。

 私を乗せてる分、サル・シュくんの馬は遅くて、先頭を駆け抜けたガリさんとは、砂嵐のあと、しゃべってもいなかった。

 ガリさんに、命令されたわけじゃ……ない…………

 サル・シュくんが、自分で、ル・アくんを助けたんだ!

 どうしてっ!

 私を振り返らなかったあの時のサル・シュ君の後ろ姿。

 あれは、ル・ア君を、探しに行ったの?

 どうして?

 どうして自分の子じゃないの?

 どうして私の子じゃないの?

 どうしてリンじゃないの?

 どうして?

 ガリさんが、少しも揺らいでくれないのがっ、肚立だしいっ!

 少しぐらい叩かれて動いてよっ! 押し下がってよっ!

 そんなっ! 壁みたいに立ってないでっ! 少しは傷ついてよっ!

「いなくなったっ! サル・シュくんがいなくなったっ! サル・シュくんの子も居なくなったっ! もうっ産まれないっ! サル・シュくんの子なんて、産まれないっ! どうしてぇっ!」

 また、豪雨が世界を覆った。

  

 

  

 

  

 

 ここは砂漠なのに……

 立ってるだけで渇き死にする地獄なのに……

 雨が……やまない……

 何も、聞こえ、ない……

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 【ハルナを見つめるル・ア】

 

  

 

  

 

  

 

「ル・ア、ハルに近寄るな」

 ハルがこけそうになったから支えようとしたら、リョウ・カに止められた。父上がハルを抱き上げて、部屋に連れて行く。

 あんなにいつも笑っていたハルが、泣きはらして真っ赤な目をして、俺を、睨む。サル・シュの骸骨を抱き締めて、ふらふらしてる。

 髪が真っ白。

 サル・シュの死体のそばにいた間に、全部白くなったって。

 もう洗われて綺麗だけど、サル・シュのそばに三日も座り込んでたって。

 腐りだしたサル・シュの頭蓋骨から肉を手で払って抱き締めたって。

「だって、サル・シュ君は白くないと……」ってケラケラ笑ったのが凄い怖かった、って戦士たちが怯えてた。

 みんな、影で、ハルを人指し指で指さしてる。

 人指し指は呪い指。

 指さすことで呪いがかかる。だからキラ・シは、『指さす』時は人指し指と中指を揃えて伸ばすか、親指で指し示す。

『ネスティスガロウ(お前は地の底で永遠に苦しめ)』。

 人指し指の呪いの言葉。

 みんな、そこまでは、唱えてないけど。

 凶つ者(凶つ者)を追い払う呪いでもあるから、ハルを怖がってるから、みんな、ハルを人指し指で指さす。

 凶つ者に憑かれた、って。

 こっちに来ないでくれ、って。

 今も、白い骨を抱いてるハル。

 ぼさぼさの白髪で血走った目の周りも真っ黒。肌もどす黒くて、知ってないと、ハルだとわからない。

「あなたが死ねば良かったのに……」

 そう言って、俺を、睨む……

 歩くだけマシだ、ってリョウ・カはため息をついた。

 ハルが失神した後、サル・シュの体は、砂漠に持って行ったって。

 禿鷹についばまれて天に帰っただろう、って。ハルが放さなかった骸骨だけは、持たせてベッドに寝かせたんだ。今は洗ってるから綺麗だけど、当時は腐肉と蛆で凄いことになってた。

 子どもを抱くように、サル・シュの骸骨を抱き締めてふらつくハル。

 彼女は、サル・シュの死に目に会えたらしい。

 俺は、サル・シュに抱えられてはいたけど、死に目には、会えなかった。

 死に目に……会えなかった…………

 あんなに、育ててくれたのに……

 なんでも教えてくれたのに……

 父上より、長い間一緒にいたのに!

「ハルはル・マが死んだときもああだった。しばらくすれば治るから、近寄るな。特に、ル・アはな」

 リョウ・カがまたため息をつく。でも、俺の腕を握る手は強い。父上を追い駆けることすら、阻まれてる。

 父上が、ハルを慰めてるから。その邪魔をするな、ってこと。

 最近ずっと、父上はハルと一緒にいる。俺はトの隙間から、二人を見ることしか、できない。俺を見たら、ハルがわめきだすから。

 俺がこのシロで初めて目覚めたとき、飛び込んで来たハルが俺を何度も殴った。

 凄い悲鳴だった。

 ハルの涙で溺れるかと思った。

 腐肉のついた骸骨を振り回して、ハルが骨になったみたいにげっそり痩せて、泣き叫んでた。

 何を言ってるのかはわからないけど、でも、わかる。

 父上が抱き上げて連れて出た。

 その肩から、ハルの腕が真っ直ぐに俺に伸ばされてた。白い人指し指が、ずっと俺を差してた。すぐに、リョウ・カがそれを握ってしまったけど、ハルの金切り声がずっとシロに響いてた。

 俺は、ハルに呪われて当然だ。

「どうして……サル・シュは俺を助けたの?」

 ハルが怒るのは正しいよ。

「どうして? 見つけたのがル・アだからだろう? それはハルに何度も言ったのだがな……」

 ハルの子だけではなく、全部の子どもがいなくなったのだから……って、リョウ・カがため息をつく。

「違うよ、リン・シュもいたんだ。一緒に馬の影にいたんだよ」

 リョウ・カの目が見開かれた。

「……どういうことだ?」

 物陰に連れて行かれた。

 壁の隅に、俺の太股より太い腕をつかれて、真っ暗闇。リョウ・カの目だけがギラリと光った。

「サル・シュは、リン・シュが生きてるのを知ってた。ちゃんと、リン・シュを抱きしめてた。でも、馬に乗せたのは俺だったんだ」

『すまん、リンシュ!』ってサル・シュが叫んだのは、聞こえてた。

 俺はそのあと布にくるまれたから、何も見えなかったけど、聞こえてた。

 父上、どうしてっ! ってサル・シュを呼んでたリン・シュの声が耳から離れない。

「どうして? ってサル・シュに聞いたら、『二人乗せたら全員死ぬ』って……」

 なら、サル・シュが助けるのはリン・シュじゃないの? ……と思ったけど…………言えなかった。

 俺が、置いていかれるから……

 サル・シュは、自分の服を脱いで俺にかぶせて、布でくるんで、馬を走らせた……

 ハルが怒るのは当然だ…………

 サル・シュは、リン・シュを助けるべきだった。自分の子なのに!

『キラ・シのために生きろ、ル・ア…………

 お前を産むために、ル・マが死んだ。ガリメキアもハルも泣いた。

 お前がキラ・シを救う、と先見をしたから、ル・マは、自分の命を賭けてお前を産んだんだ。

 生き残れ。

 ナニがあっても』

 それが、サル・シュの最後の言葉だった。

 あの時もう、サル・シュの右目は白く濁ってた。砂漠の反射で目が潰れるって聞いてたけど、こんなに、なるんだ? って、聞くこともできなかった。ただ、うなずいただけ。

 城についたときには、両目とも見えてなかっただろう、って。よくたどり着いた、って、さすがサル・シュだ、って、みんな騒いでた。

 リョウ・カがいつのまにかいなくなってた。

 俺は座り込んでた。

 大きな気配がそばに……

「ル・ア、サル・シュの分まで生きろよ?」

 リョウ・カより大きなショウ・キが、俺の頭を撫でた。

 何回も、みんなに言われた。ただ、うなずくしかない。

「サル・シュは……なんで、俺を助けに来たの?」

「お前が、ル・ア。

 キラ・シを助ける、と、ル・マが予言したからだ」

 そっか……ショウ・キも知ってるんだ?

 キラ・シのみんなが、知ってるんだ?

 だから、俺を助けた?

 自分の子より?

 ハルの悲鳴がまた聞こえた。ショウ・キも階段の上を振り仰ぐ。

「悲鳴が出るだけ、元気でいい」

 ショウ・キは何度かうなずいた。

 そういう考え方もあるんだ。そっか……

 悲鳴を出せるだけ、マシなんだ………………そうだよね……

 怪我をしても馬鹿話して俺を笑わせようとしてたサル・シュが、あの砂漠では何もしゃべらなかった。たまに、水袋を押しつけられるだけ。他はくるまれてて何も見えなかった。

 灼かったけど、焼けはしなかった。

 サル・シュみたいに、焼けただれは……しなかった……

 サル・シュは、悲鳴すら……上げなかった……

 ナニカ聞こえたら、俺はきっと、あのくるまれてるのを抜け出そうとした。俺だけ助けられるなんていやだから、絶対、サル・シュに服を着せた。

 そして、二人とも、死んだだろう。

 なんて静かだった、サル・シュ。

 山では、サル・シュがバカばっかりしてた。

 おしゃべりで、いつも笑っててにぎやかだった。

「黙れないの?」

「食べることに使ってないんだから喋るだろ」

 そんなバカを、言ってた、のに……

 笛の音が、聞こえてた。

 ヒュー……ヒュー……って…………あれは、サル・シュの呼吸音だ。山で、死にかけの戦士が、あんな息をしてた。

 聞こえてた、のに…………俺も意識がほとんどなかったから、街について、誰かが囃してるのかと思ってた。

 今なら、わかったのに。

 俺に、ナニができただろう……

 俺に、ナニができるだろう……

  

 

  

 

  

 

「ねぇル・アくん…………ごめんなさいね、サル・シュくんが死んで、私、どうかしちゃってて……」

 ようやく笑ってくれるようになったハルに、みんながホッとしてたころ、話しかけてきた。

「仕方ないよ………………あんな時だったもの」

 父上がそこで見てる。

 ハルはもう、骸骨を持っていない。

 昨日、街門の上から砂漠に投げた、って聞いた。

 この大陸では、葬儀は『埋める』のが基本みたいだけど、山では、みんな鳥葬だ。『埋める』のは、倣いに反した者と、凶つ者だけ。

 だから、サル・シュの体も、砂漠に放置。ハルが骸骨を砂に投げたのも、キラ・シの倣い。

 やっと、手放してくれた……ハル。

 俺を守って死んだサル・シュの骸骨。白く洗われて、綺麗だった。

「サル・シュくん、いつも白くて綺麗ね……」

 骸骨にキスしたハルが、怖くて、悲しくて、胸が痛かった。

 そんなハルを見て、キラ・シ一巨漢のショウ・キまで、泣いてた。

 でも、戻ったんだ。

 前みたいに、みんなに笑い掛けてくれるようになった。

 ハルが笑うから、みんな笑った。

 朝日が登ったみたい。

 ハルは最近、ちゃんと食事もしてるから、前みたいに白くて綺麗。

 ただ、髪は真っ白のまま。

 顔も、ずいぶん戻ってきたけど、目の下はちょっと黒い。

「サル・シュくん……最後にナニカ言ってた? 君と会ったあと、彼、どうだった? 聞かせてくれる?」

 誰にも言うな、ってリョウ・カに言われたけど、でも…………全部、話した。

 俺がハルでも聞きたいと思うから。

「そう……」

 ハルの手が、俺の額を撫でる。

 その手で、ハルのスカートしか見えなくなった。

「ガリさんに良く似て……白いわね……あなた」

 サル・シュの方がもっと白いけど……って、言えな……かった。

「リンだって同じくらい白かったんだから…………生き残れた筈なのに……」

 そう、だろうと、思う。

 あそこでサル・シュがリン・シュを連れて行ったら、リン・シュは生き残った筈だ。

 ようやく、見えたハル顔はもう、笑って、なかった。

 以前は、しゃがみ込んで俺と目線を合わせてくれたのに、立ったまま、見下ろされる。

 真っ直ぐに俺を見る、その目は黒いのに、あの時の、サル・シュの白い目を思い出した。

「死んでもキラ・シを助けなさいよ」

「う……ん…………」

 それは、絶対に、する。

「ル・アくん…………そうじゃないと、ル・マちゃんも、サル・シュくんもリンも、子供たちも報われないわ」

 それはもう、何回も言われた。

「あなたはガリさんも、殺すの…………それがル・マちゃんの先見だった……」

「え……?」

 そんなのは……知らない…………そんなこと、ある筈ない……

「私が愛した人を、あなたが全部殺したの」

 刀に、貫かれたかのよう。

「嘘つきには、私が百石(ひゃくせき)、投げるからね」

 ハルの目から、血の涙があふれて落ちた。

  

 

  

 

 俺に、ナニができるだろう?

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 

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