あ……焼き肉のにおい?
階段を上がってくる。この気配は、夕羅(せきら)くんだ。
ガリさんとやったあと、気配ダダ漏れのままだよ。相当疲れてるんだろうな。階段を上がってくるのが遅い。
バルコニーに顔を出す前に、止まって呼吸を整えてる。
史留暉(しるき)君と沙射君も振り返った。
町の人も、少し、静かになった。
出てきた赤い姿に、ラキシタ君が笑顔を見せて、サル・シュくんも振り返る。
焼き肉のにおい…………夕羅くんの右手だ! 肘から先がっ、ないっ! 出血を焼き潰してきたんだ!
サル・シュくんが大きな息を吐いて、もっと気配を消した。
「夕羅っ、お前っ! 右手っ!」
「無傷では勝てなかった」
左手に刀を握ったまま。
『前』の彼は五体満足だったのに……そういえば、あの時は、ガリさんが左目を怪我して見えてなかったから?
彼が、サル・シュくんを見て、そこに散らばってる髪の毛を、見た。
夕羅くんもラキシタ君も、サル・シュくんの髪の毛を踏んで立ってる。
もしかして、この髪、滑る?
油撒いたような状態?
テキトーに捨てたように思ったけど、敵の足場を奪う目的も、あった?
敵の足場を奪う目的『が』あった?
あら……夕羅くんのほうが、少し、背が高い……よね。
サル・シュくんが、腰の袋に手を二回突っ込んで顔をこすったら、真っ赤になった!
椿油をつけた手で、紅花の粉を取ったんだ。
「はいっ! これで俺も紅渦軍(こうかぐん)っ!」
残った手で私の顔までヌリヌリ。ウウ……
紅花の甘苦い匂いがすごい……
私の手までヌリヌリ。自分の手も塗って、まくってた袖を下ろした。とりあえず、出てるところはみんな赤くなったね。
紅渦軍に帰順するってことは、死ぬ気はないんだ?
サル・シュくん、生きてくれるつもりなんだ?
『あと二年、生きていてあげる』
あれは、そういうこと? ホントに?
良かったっ!
夕羅(せきら)くんも、静かに大きく息を吐いて、二回頷いた。
「お前が、毎日俺と鍛練すること」
サル・シュくんが小指と薬指を立てた。
「20プンでいい。二年間、毎日だ」
夕羅(せきら)くんが頷く。
「わかった」
二年間?
「羅季(らき)語は覚えろ」
「条件つけられる立場だと思ってんのかよ」
夕羅くんの言葉に、サル・シュくんがカチンと反応した。語尾を下げた、明らかな恫喝。
ラキシタ君と史留暉君が、振り返った。夕羅くんも少し目を丸くしてる。ここで怒るとは思わなかったんだろう。
「今すぐ、お前ら全員、根絶やしにしてやろうかっ!」
サル・シュくんの『全開』で、沙射君とナール・サス王様が腰を抜かした。街の人がシンとして、史留暉君が慌てて沙射君を支えて立たせる。
切った襟足の髪が、本当に逆立ってる。
「腕が治って、調子が戻るまで、二年は待ってやる、ってだけだ。ガリメキアに腕取られた奴がつけあがるな」
夕羅くんが眉を寄せて顎を引いた。
「この煌都(こうと)の奴ら、ハル以外全員殺すぞ。
今、すぐに」
赤い炎が空に登ってく感じ……
「約束だろ、坊や」
サル・シュくんが、夕羅くんの右手の傷に指を突っ込んだ。ヒャァッ! よく声出さないな、夕羅くん。
キスできそうな距離で、畳み込む。
「お前は、俺を、ちゃんと、殺せ」
ラキシタ君が眉を寄せて、サル・シュくんと夕羅くんを交互に見る。
ああ……だから、なのね……
だから、キラ・シを捨てたのね、サル・シュくん。
ガリさんじゃ、殺してくれないから。
ここに登ってきた最初から、捨ててたのね……
だから、私と来て、くれたんだ?
私のためじゃ、なかったんだ?
「そうしないと、凶つ者(まがつもの)を解き放つぜ? この大陸に」
サル・シュくんが、ここから全員を殺してまわる……と?
彼なら、できる、よね。
どこまで息が続くかしら。
誰が彼を殺してくれるかしら。
煌都の全員を殺すのに、何日かかるかしら?
動くものが無くなった煌都から、他の都に移れるかしら?
「俺との鍛練は、来月から一日一ジカンな。鍛え直してやるよ。
そうそう、叛乱とかあったら、出るからな。月に一度はちゃんと殺させろよ? じゃないと、お前ら殺すぞ」
サル・シュくんがラキシタ君を見たら、彼もびくっ、と肩を揺らした。
「お前も、大口叩けるだけ強くなれよな。二年後に今のままだったら、こいつより先に殺すぞ」
私を抱き上げて、サル・シュくんはバルコニーを下りた。
後ろでラキシタ君の「イルヤクイルヤク……こえーっ!」という声が聞こえる。
玄関に下りた彼は、そこにあった地図とかの画板に火をつけた。
そして、練兵場へ。
既に死体の運び出しが始まってる。
この大陸最大の戦の筈だったのに、こんな最小限の被害で済んだ。
『殺すためだけ』の戦。
『キラ・シは全滅』。
荷馬車に積んで、どこかに捨てるのね。ゴミみたいに、捨てるのね。
練兵場のど真ん中に、丸く、死体のない場所があった。
ああ、ここから向こうは、白い肌の兵士だわ。二つになってる。二回目の『山ざらい』が、出せたのねガリさん。
あそこからまた紅渦軍(こうかぐん)は減ったのね。
ウィギの騎馬戦士たちが死んだのね。
ガリさんも、左腕が無くなってた。夕羅くんより、ズタズタ。
でも、二回も『山ざらい』を出したなら、もう体もボロボロだったでしょう。『全力』では、ないわよね。
でも、ガリさんの、この時の全力よね。
血を吐いたくちびるが、少しだけ笑ってる。
胸を貫かれたんだから、痛いだろうに、苦しいだろうに……穏やかな顔をしてる。
「いいなぁ……ガリメキアは………………自分より強いやつがいて……」
サル・シュくんが、刀を、抜いた。
「……きゃぁっ!」
ドン、と、ガリさんの口に刀を突きたてて、首を斬った。かすかに見えていた笑顔は、もう、ぐしゃぐしゃ。
他にも、リョウさんやショウ・キさんの首を斬っていく。
ナンちゃんも、いたわ……俯いてたから、見過ごすところだった。ガリさんより、ズタズタだわ……
「死ななかったから、雑魚に寄ってたかってとどめを刺されたんだ…………」
サル・シュくんは、ナンちゃんの首は落とさなかった。
キラ・シは全員、刀を取られたみたい。矢も刀も、無くなってた。ナンちゃんの右手もひき殺された蛙みたいにぺしゃんこ。指も無くなってた。
刀を放さなかったから、切り落とされたのね。
死んでも、放さなかったのね。
ガリさんに一番近い場所で、ガリさんに向かって右手を伸ばして、倒れてた。
私の子供は、全部、死んじゃったのかな……
おなかで誰かが蹴った。
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