「……逃げない……よ…………逃げない…………」
それよりさきに、体が硬直して、動かない……呼吸すら、止まりそうっ! 心臓の音が耳元ではじけてるみたい……世界が……ぐらって回ってた……………
私の端末が、バイブレーションを出した。トイレの流しの上で震えてる。
「見ていいよ?」
サル・シュくんにっこり。
私が動かないから、サル・シュくんがタップしてくれた。
『ガリがサル・シュを思い出した! あいつは世界有数の殺し屋だ。誰も顔と名前を知らない。どこのリストにも載ってない!』
そりゃ、そうだよね。こんな美女になってるんだもん。
端末が、簪で刺し貫かれた。
んふ? って笑う、血の色のくちびる。
「これね、」
サル・シュくんがその口紅を握りしめる。
「リョウ・カの、端末に爆弾を仕掛けてる。これが、そのスイッチ」
「リョウさんの、端末……凄い、セキュリティが……」
「ガリメキアでもハッキングできるセキュリティ?」
さっきの、研究室でのことを、もう、知ってる……
ここから研究室なんて、五メートルもないのに……まだ、いる。沙射君が、言ってくれないかな? ここに私がいる、って。リョウさんが、来てくれないかな?
「ねぇ……知ってる?」
端末を壊した簪の切っ先を舐める、サル・シュくん。
「なんで、ガリメキアが、キラ・シの族長だったか……」
その切っ先で、私のくちびるをなでる、サル・シュくん。
「俺が」
彼の笑顔が、ゆがんで……いく……
「殺してなかったからだよ?」
知ってる。
サル・シュくんは『勝ち上がり』で、本気を、出してはいなかった。
それは、みんな、知ってた。
「ガリメキアを、好きだった、から。ル・マを愛した。
ル・マがガリメキアを好きなのは当然だから、何も思わなかった。
それを我慢したご褒美に、ハルを貰ったと思ったから」
だから、ル・マちゃんをすっぱり諦めたの?
だから、ル・マちゃんはガリさんを口説き続けて、ル・アくんが生まれて、この、歴史に、なった。
他の人が最初だと、サル・シュくんがル・マちゃんを諦めなかったから、ル・アくんを産むのが凄く、大変だったんだ。
「ガリメキアは、ハルも……盗った…………」
そんな、前から、……狂ってたの? サル・シュくん……
「ル・マも……盗った……」
流し台をガリガリと、簪で引っかく。
「何もかも、俺から盗った……」
ガリガリ……
ガリガリ…………
マスカラ涙が白い頬を流れていく。
「俺を、殺しても、くれなかった……」
流し台が砕けて落ちた。
「そのうえで……ナニ? リョウ・カとハルの結婚式のお祝い?」
ガツッ……って、流し台に突き立つ簪。
「もう、やめたんだ」
いっそ、その簪で私の胸をつらぬいてほしい。
「我慢するの、やめたんだ」
口紅を、簪とは反対の指でくるくるまわす。
いつサル・シュくんが我慢してたのか、私が聞きたいぐらいだけど、そんなこと、口から出ない。歯が砕けそうなほど食いしばってて、息が苦しいのにっ……
「数メートルしか吹っ飛ばないけど……アレが、端末をテーブルに置いてることを期待して、押してみる?」
なら、あげるよ? って耳元で囁かれる。肩をすくめて逃げたら、耳を噛んで引き寄せられた。
「痛いっ……いっ……やめてっ!」
「俺から逃げたら、ハルも殺すよ?」
「ひっ……ぃっ…………」
耳がっ……噛み千切られるっ!
「俺を愛さないハルも、死体のハルも……一緒、だろ?」
腰が……抜けた。
抱えられて、髪を握って上向かされる。
「……や…………やだ…………」
「押して、いい?」
髪を引っ張られてるから首を横に振れない。
「やめて……」
「俺と、来る?」
リョウさん………………リョウさんっ!
……リョウさん…………
サル・シュくんが、凄く、綺麗に、笑った。
コメント