【レイ・カの悲鳴】
レイ・カが騎羅史に帰還して、リョウ・カを見舞った。
キラ・シの女神、ハルが看病をしていて、レイ・カは微笑んでしまう。
元々、今にも死にそうなほど貧相な上に、葡萄を一つ一つ食べたり、栗の薄皮を向いて食べたりと、面倒な女だとレイ・カは思ったが、彼女の知識がキラ・シの戦を楽にしたことは認めている。
ル・マの先見は夢で出るらしく、ガリ・アしか解読できない。明後日雨が降るとかの天気はすぐに当たるが、ハルナのそれには及ぶべくもなかった。
その彼女に、兄が入れ揚げているのをレイ・カも知っている。否、キラ・シ全員が知っている。
そして、ガリ・アも、知っていた。
来年、ハルを抱く権利が族長に移ったら、この兄はどうするだろう……と、レイ・カは少し心配だったのだ。
だからといって、産後すぐの女を抱くなどと、誰も想像しなかった。
「どうかしてるぞ、リョウ。ガリメキアを裏切るなんて」
リョウ・カは首を横に振るだけだ。
「……我慢できなかった……」
「ナニが?」
「サル・シュに、今日したらハルが孕む、と教えられて……我慢、できなかったのだ。
次はガリだと、わかっていたのに……」
あれだけ実直で豪気で、ガリ・アを好きな兄が『我慢できない』と震えて嘆く。その様にレイ・カは胸が痛んだ。
キラ・シでは、女を抱くのは『勝ち上がり』の時だけだ。だから、誰も何も言わなければ、リョウ・カが手を出す筈がなかった。
誰も、産んですぐの女がまた孕むなど、知らなかったのだから。
だが、その話が回ってきたときにレイ・カがしたのは、リョウ・カを問い詰めるために騎羅史に帰ることではなかった。
先日自分の子を産んだ女を抱いて回ったのだ。新たに制圧するよりよほど簡単だった。
キラ・シの山は女が三人しか居ない。
だから、『女を自分の所有にする』という感覚がなかった。
それに、孕んでいる女を抱くこともない。
山では、女の血の道が引いてから十日後に十日間しか女を抱けなかった。
だから、下で『制圧』したが、あちらこちらの村で自分の子を産んだ女は、次は誰かの子を産むもの、と考えていた。だから、『制圧のし直し』が予定に入っていた。
違ったのだ。
自分の子を産んだ女は、制圧より簡単に抱けた。
『これは俺の女だ』
キラ・シの全員がそれに気づいた。
結果的にみなが、羅季(らき)や覇魔流(はまる)、貴信(きしん)に戻ってきていたのだ。
最初にサル・シュがしたように、女の頬に紋を描くものもいた。
レイ・カも、そう、したのだ。
それでも笑って抱きついてくる女に、初めて愛着がわいた。
リョウ・カのしたことをきいて、馬鹿なことを、と考えていたが、意味が分かったのだ。
『下』では、女はそういう意味で自分に抱かれていた、と気づいた。
十カ月前に一度抱いて、そのあと一度顔を見に戻っただろうか。それだけなのに、彼女は自分を歓迎してくれ、子を見せてくれ、また抱いてくれとねだってきた。
なんてかわいいのか……と、レイ・カは胸が熱くなった。
その上で、ハルだ。
毎日城にいて、しかも、あの働きをした、女。
どんな愛着だろう……
レイ・カは、リョウ・カの心を思うと身が震えた。
ガリ・アを裏切っても良いと思うほどの執着を持ったから、そんなことができたのだ。
サル・シュが入れ知恵したから、リョウ・カは踏み切った。
ハルナからすれば、ガリ・アの制裁は過剰に映っただろう。
違うのだ。
ガリ・アが許してくれたから、リョウ・カは生きているだけなのだ。
リョウ・カがベッドから立ち上がったから、レイ・カはハッ、と息をつき、共に石畳の城を歩いた。
昼なお暗いそこは、壁の灯で照らされている。羅季(らき)城は美麗な灯台だったが、ここではたいまつが壁に取り付けられているだけ。無骨な城だ。
玄関に下りたら、既にサル・シュはいなかった。地図のそばにはハルがいて、自分やリョウ・カに笑顔で手を降ってくれる。
『レイ・カさんお帰りっ! 怪我はない? 今日はね、ちょうど、レイ・カさんの好きな鶏肉があるわよ』
帰還するたびに笑顔で迎えてくれた彼女。何もそこまで必死に走ってこなくても、とレイ・カは思っていた。
何度か、彼女のいない帰還があった。具合が悪いから寝てる、とか、つわりが酷くて歩けないとか。
とても心配で、顔を見に行った。安らかに寝ていて、安心したものだ。
レイ・カは、最初から制圧に出ていたから、城に自分の女がいない。だから、長い間、気づかなかった。
ハルはリョウ・カの女だ。それでも、いつも出迎えてくれることが嬉しかった。それは、『居なくなった時』にわかったのだ。
いつもいつも一緒にいた自分の兄が、どれだけ彼女を大事にしていたか。
それを思うと胸が痛くなる。
サル・シュを見つけて、レイ・カは息をついた。彼とは幼いころかの付き合いだが、こうして離れているのは降りてからずっとだ。いつも、違う驚きを抱えていて、身構えてしまう。
彼は、練兵場で鍛練していた。
レイ・カもそれにまじり、汗を流した後、サル・シュが少し離れた茂みに歩いたので並んだ。
「ナニ?」
彼の方から聞いてくる。
「いや……、リョウを、運んでくれてありがとう」
「アレは、俺のが当たったから、お礼」
サル・シュは、軽く腹をさすりながら、肩をすくめて明るく笑った。
いつもの彼だ。何も気にした様子はない。
「ナニを当てたんだ?」
「ハル、今日孕むぜ、リョウ叔父!」
リョウ・カに言ったようにサル・シュは言い放った。
レイ・カの眉間に深いしわが寄る。
手に入れた女は、手に入れた男に最初の権利がある。そのあとは、『勝ち上がり』の順位での指名だ。
そして、最初からガリ・アがそれに名乗りを上げていた。
ハルの顔を見るたびに『次は俺だ』と言い続けていたのだ。
あの執着は、レイ・カでもゾッとするものがあった。
『今』はリョウ・カのモノなのに、隙あらばハルに触ろう、キスしようとしていた。リョウ・カがそれでイライラしていたことをみな知っている。
このままなら、次の『勝ち上がり』の時に、ハルの所有権はリョウ・カからガリ・アに移る筈だった。
だが、今ハルが妊娠してしまえば、ガリ・アがハルに触れられるのは十カ月後になる。
ガリ・アの怒りは正当だ。キラ・シの戦士はそれを理解していた。だから、誰もリョウ・カやサル・シュをかばわなかったのだ。
『ハルの働き』は見事だった。
誰だって、あんな女の、子は、欲しい。
リョウ・カも、欲しいのだ。
もっと。
「決闘になっていたら、どうするつもりだった?」
本当にそうなれば、リョウ・カは黙って殺されただろうか?
ハルを連れてキラ・シを割れば、リョウ・カを慕うものはついていっただろう。
ガリ・アの『山ざらい』は、怖い。
だが、『下』に降りてきてから、リョウ・カが城を采配していたことをみな知っている。
ハルがどれだけ働いたか、知っている。
ガリ・アに、何人が残っただろうか?
半数、残っただろうか?
ゼルブはどちらについただろうか?
サル・シュは、どちらについたのだろうか?
レイ・カは気持ち悪い悪寒に歯を軋らせる。
俺は、どちらについただろうか?
それを、胸の奥に押し込める。
みな、今回のことでそれを考えただろう。
今回はガリ・アが我慢したから、そうならなかったのだ。彼自身も、ここでリョウ・カに切っ先を向ければどうなるかわかっただろう。
だが、二人の友人関係は壊れているのではないかと、レイ・カは思う。
次は?
ガリ・アがハルを離さないだろう。その時に、リョウ・カはどうなる?
それに、耐えられるか?
「族長がリョウ叔父に決闘、言い出したら、俺は、横で、リョウ叔父を応援したかな」
サル・シュが軽く笑ったことに、レイ・カは眉を寄せた。
「お前……サル・シュ………………わざとか?」
「なにがー?」
青ざめたレイ・カとは逆に、サル・シュは天真爛漫に微笑んで見せる。
「キラ・シの、内紛を、煽ったのか?」
彼はきょとんとした顔でレイ・カを見ている。
だが、ややあって、赤瓜がはぜたかのように、笑った。
「退屈だろ?」
「退屈? これから城を攻撃していこうというこの時に?」
「だってー……キラ・シの楽勝だろ。つまんない」
楽勝には違いない。誰も死んでもいない。
だが、戦は戦だ。人の命は散っている。
今、死んでいるのは敵だけだが、自分もいつ、そうなるかわからない。
強いから生き残れる。
戦は、そんな簡単なものではない。
サル・シュでも、うっかり戦場でこければ、周りから八つ裂きにされるのは目に見えている。
戦慄しているレイ・カの前で、サル・シュは両手をあげて、『たいくつーっ!』と体を揺さぶった。
昔、楽勝だと族長が笑っていた戦で、レイ・カは兄を亡くしているのだ。
どんな戦でも、気を抜けない。一人一人、確実にとどめを指していく。戦は楽勝だったが、レイ・カは『楽』だと感じたことは一度もなかった。
どこも死地だ。舐めてかかるととんでもない目に合う。
他人の命を奪っているのだ。自分もいつかは奪われる。
サル・シュとて、一対一では山で一番強いだろう。それでもキラ・ガンにさらわれた。それを一番知っているのはサル・シュの筈なのだ。
「お前はっ!」
サル・シュの襟首を引き寄せようとしたレイ・カの腕は、たたき落とされた。そして、首に、切っ先を、突きつけられる。
いつ抜いた?
先程まで両手を頭上に上げていたのに。
「『勝ち上がり』で、俺の上に『居させてやってる』って、わかってんだろ? 逆らうなよ」
プツッ……と、喉を突き抜けてくる、鉄に、レイ・カは生唾を呑み込んで傷口を広げた。
「ガリメキアは神じゃない……って、ことさ」
「キラ・シを、割ろうと、したのか? お前」
サル・シュが右側を見て、レイ・カを見て、ニッ、と笑う。
「面白くなりそうだよな」
サル・シュは確かに『変』だが、ここまで狂っていたか? とレイ・カは涙した。
「この先、どうなると思う?」
『変』なモノは早く捨てるべき。
先人の教えは、正しかったのだ。
「お前は、どっちにつく? レイ・カ」
凶つ者が笑っていた。
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