【赤狼】女子高生軍師、富士山を割る。

 

  

 

  

 

 ああ凄い、私、日記と鉛筆握りしめてるよ……

 日記、書きたかったんだ。昨日あったこと。

 学校で、憧れの佐川くんと喋れたんだ。

 秋の衣替えと同時に転校してきた私。まだ暑いのに冬服ツライ。

 隣の席の佐川君。

 男らしいのに綺麗な顔してて、一目惚れした。ずっと彼に会えるんだ? なんか、転校初日から気分いーいっ! って、思ってた。

 昨日の下校時。学校で、見たことない花が咲いてたからしゃがみ込んでたら「コンタでも落としたのか?」って隣にしゃがみ込んできた佐川君。ヒッ……って、言っちゃって、「いくら俺が不良だっつわれてても、お前みたいなよわっちいの殴るかよ」って言いながら、『地面に無いコンタクトレンズ』を探してくれてる凄い。

 ああ、佐川くんの目にコンタクト入ってる。そっか、落としたときの苦労知ってるから、助けてくれてるんだ? 普通にみんな、通りすぎて行ったのに……優しい…………

 睫毛長いな……キリリ眉毛かっこいい……

「ナニ?」

 近くで見てもカッコイイとか、凄い…………というか、真正面っ! ふわわわわっ! めっっっちゃ、睨まれてた!

「……あ、ごめんなさい……コンタクトじゃ、ないの」

「ナニ?」

 うわっ、とたんに不機嫌っ! コワッ! 怒られるっ! 勝手に勘違いされたんだけど……えっと……

「……この花が、珍しいな……って……」

「花?」

 いぬのふぐりより小さな花。

「花? それ、花? お前、よく見つけたなそんなのっ!」

 私の膝より地面に顔を近づけてその花見てた佐川くん。顔上げて、クハハッ、って笑った。歯が白い。顎のラインが夕日にキラッて白く光る。

「何してんだ佐川」

「あー、なんでもないっ」

 佐川くんは友達に呼ばれてそのまま行っちゃった。

 一度も、私を見もせずに。

 少女漫画なら、ここで頭でも撫でられて『お前面白いな』とか言われるケース。

 知ってる。そんなの、漫画だけだ、って。

 佐川くんにはなんでもないこと。

 多分、もう、私のことなんて忘れてる。

 でも、私は覚えてるから、こうして、日記に書いてるんだ。

 小さなこと、忘れてしまうようなこと。それでも、それは『あった』から。

 文字として残すと、『私の宝物』として『残る』から。

「漫画なら、あそこで、『好きです』って言っちゃっても良かったかも……」

 言えるわけない。

 そんな度胸無い。

 あんな衆人環視の中で「はっ?」とか言われたら立ち直れない。

 ため息をついたら……、葉っぱが見えた。

 葉っぱ? 木の枝? えっ? ここどこ? っていうか、地面? 地面に私、直接座ってる? ブレザーの制服着てる。日記と鉛筆持ってる。靴下だけっ! 靴は?

 いや、違う。

 考えるのはソコじゃない。

 富士山が噴火したよね?

 ……家が、砕けて、父さんも母さんも即死…………

 あの時、私は空中にいたよね?

「ここどこ?」

 落ち葉がいっぱいの斜面。森? 広葉樹?

 空もあんまり見えないぐらい繁ってる。

 空は晴れてる? 葉っぱの向こうは青いな。

 自然いっぱい。というが自然しかない。

 人の声しない。物音も、しない。

 いや、風で葉っぱがサワサワ鳴ってるけど、そういうのじゃなくて……しゃべり声とか、足音とか、『人間がナニカしてる音』が、しない。

 しない……

 誰も、いない?

 なんで?

 ゾワッと寒くなって、腕を抱いたら、ジャケットが冷たい。九月だよ? ジャケットが暑くていつも脱ぐのに、冷たい? もしかして、寒い?

「どうしよう?」

 どうしよって、どうする?

 まず、『ここ』が『どこか』もわかんないのに?

 森……って、初めて見たかも。

 案外、見晴らしはいいんだな。

『鬱蒼とした森』だと、地面に太陽の光が育たないから、下草が殆ど無い。木が無かったらはげ山と言ってもいい。落ち葉ばかりの斜面。無効まで、『木の幹』だけが縦に重なってて、遠くまで見えるのは見えるけど……人工物は、何も見えない。

 公園に植えられた木々は見たことあるけど、こんな、自然の森っぽいの……初めてだ。森の中って歩けないホと下草があるものだと思ってたけど、足元は案外、見やすい。

 この葉っぱがなんの木かまではわかんないな。桜とか百日紅とかではないってぐらいしか……

 佐川君と見たあの小さな花も、見慣れないから目についただけで、他の花も名前が言える訳じゃない。本で知ってるだけだから、名前言われたらわかるけど、自然を見てこれがナニ、ってのはわからないほうが多い。

 森が凄くて、富士山も見えない。

 大体、富士山、ソコに、あるの?

 寒くは、無い? かな。ブレザーのジャケットもあるし。ただ、ジャケット脱いだら涼しいだろうって感じ。足元が冷たい。

 靴がないっ! リビングだったから! 靴履いてなかったから!

 これはちょっと致命的っ! こんな森を歩いたら、すぐに怪我して歩けなくなっちゃうっ! どうしよう?

 どうしようアゲイン。

 とりあえず、じっとしてよう。

 意味がわからない。

 今歩き回ってもしかたない。

 どっちに行くが決めてから立ちあがろう。

 どっちに行く?

『どっち』って二択?『どの』二択?『どこに行く?』が正しいよね。

 そんな自分突っ込みはあとにしよう。。

 漫画だと、こういうときに主人公が『誰かいませんかー』と言って歩き回ってるけど、そんな気力、まっったくないわ。なんか、「何を言っても無駄」感が凄い。声を出すのだって体力いるし、大体、靴下で歩き回りたくない。

 そうなんだよ。『声を出すのも体力がいる』んだよ。

 よくアクション映画でヒロインが逃げまくってるけど、普通、あんな体力ないよ。普通に、100メートル走ったら、私はもう、歩けない。

『逃げ続ける』なんて無理。

 つまりは『歩き続ける』のも、無理なんだ。

『ひたすら歩き回る』なんて、無理。30分もしないウチに歩けなくなる。その『歩けなくなった先』が『安定している場所』である可能性なんて、五分五分。

 今、ここで、『安定して座ってられる』んだから、ここで考えてしまわないと、歩いて疲れたら、正常な判断なんてできなくなる。

 先に考えてから動く。

 考えが出ないならじっとしてる。

 私みたいな運痴はそうしないとどうしようもない。

 でも、お尻が冷たいな。

 濡れてはいないけど、土って冷たいんだな。座ってたらおなか壊しそう。

 だからって、正座したら、脛が痛いのは分かりきってるし……どうする? 落ち葉でもかき集めてみる。素手で?

 虫でもいて噛まれたらどうする? 藪をつついて蛇が出てきても困る。

 やだ……何もできない。恐い。動けない。

 蟻が這い上がってくるのをはじくぐらい。

 でかい蟻だな!!!

 ヤバイ、じっとしてると虫が上がってくる。

 でも、立ったら絶対体力尽きる。

 もう、こんな事態でSAN値ゼロ!

 すでに『正常な精神』では、ないな。

 寝てみたら気力は復活すると思うけど、三角座りで眠れるほど起用じゃないし、横たわれるほど平地は無い。だいたい、枯れ草の上に頭をおくのもいやだ。

 どうしたらいい?

 何を考えたらいい?

 現状でわかること。

『ここ』は『山の斜面』。葉っぱは緑だから、夏近辺。座っていても濡れてはこないから、近くに水場は無いっぽい。

 あっ! 水!

 いや、食べ物も無い!

 じっとしてたら渇き死ににする。

 でも、動いたら滑落して骨折して苦しんで死ぬ確率が高い。急斜面、長々と歩ける気がしない。

 渇き死にって、苦しいかな……

 でも、水だけあって餓死するよりは、時間は短いよね。なんせ、三日で死ねる。水だけあって食べ物がなければ、最悪、二カ月ぐらい生きてしまえる。

 最短三日の命。

 そう、思っても……動く気にならない。

 動くのが怖い。

 山で遭難したら、登るんだよね? とにかく、上か。あっちだな。ずっと森が続いてる。下もずっと森が続いてる。真ん前を向いて、空が見えるほど、急斜面ではないし、うちの家、丘の上だからこれぐらいの坂は無いわけではないけど、メイン通りにはエスカレーターついてるし、家はそのそばだから、あの急斜面を歩いて昇り降りしないんだよね。一度、自力で降りてみたけど、エスカレーターで数分のところを休み休みで三時間かかった。上がるなら、その数倍かかるはず。しかも、それはアスファルトの上でスニーカーを履いてたんだよ。こんな山道すら無い山の斜面で靴下でなんて、水平にでも歩けるわけない。

 とにかく、ここ、どこ?

 これが漫画なら、異次元にでも飛んできたとか?

 だって、あんなに地面に亀裂が入ってたのに……

 でも、うちの家、『富士見台』だったから、タイムスリップとかで昔にきたらこんな丘陵地だったかも……

 タイムスリップって、そんな、本当に漫画……みたいな…………

 ちょっと待って?

 山で遭難したら登れ、って、頂上には人工の道があるからってことじゃなかった? 一般人が歩いて登るような山は、てっぺんまで道があるから、頂上に向かえば、その道を降りてこられるってことだったよね?

 一般人か登らない山でも、上までいけば見晴らしがきくからって話。

 今、この斜面で、『隣の山』とをかもわかんないんだけど。上にいったらわかるもの?

 大体、上がって降りろ、とか、体力ある人の話でしょ!

『山登りをしよう!』って気力のある人の話だよね!

 山登りする気もなくこんなところに放置された『体育1』の人間の話じゃないよね!

 万が一、タイムスリップで、ここが前人未到の山だったら、どこまで行ったって『道』なんてないよね? でも、下って、沢にでもぶつかったら、そのまま行き止まりだし……迂回路が凄いことになる。

 でも、上に行ったって、道がなかったら?

 道が、なかったら?

 こんな、森の中で、山の中で、靴が無くて……

 今こそ『緊急時のコマ送り思考』になってくれたら、実時間を使わずに考え事ができるのに……まぁ、今は『めっちゃ危機』ではないってことなんだろうな……

 でも、次に行く方向がわかんない……どうしよう? 判断材料にできる資料すらない。アウトドアなんて考えてなかったからなぁ。学校が中ったらヒキコモリなんだし。

 ここが『現代』なら、登った方がいい。

 でも、違ったら?

 まぁ、違ったら死ぬだけか。

 実際にタイムスリップなんかしたら、大体死ぬよね。生き残るのは漫画だからだよ。

 富士山噴火で死ななかっただけだから、そこは覚悟しておこうかな。生きてりゃ丸儲けってことで、もうちょっと、落ち着くまで座ってよう。

 どうせ私の体力じゃ、こんな山、一時間も歩けないし……怪我して痛い痛いって死ぬよりは、限界まで飢え乾いて必死で歩く方が痛みも感じないよね。

 というか、すでに、けっこう急な斜面で今も怖いです。本当にふらふら歩いたら絶対、足踏み外して転がり落ちるわ。

 でも一応、考えるだけは考えておかないと……

 さぁ、歩くとしたらどっち行く?

 やっぱり、理論的に少しでも答えが出ている『上』がいいかな? 下るより上がる方が簡単そうだし。下見なくていいし。

 でも、上まで行って、どうする?

 どうする?

「あーーーーーーー………………」

 魂が出る、ってこんな叫びだよ。

 膝を抱えて、目を閉じた。

 どうせ死ぬなら、ここでうずくまってたい。

 何もしたくない。

 もう、今、びっくり続きでかなりツライ。

 夢なら早く覚めて。

 どうしよう。

 立ち上がる? 靴下で。

 葉っぱでも巻く? ナニで巻く? どうやって巻く?

「ん?」

 なんかクサイ?

 膝から顔を上げたら、膝についてた頬がヒャッと冷たくなった。

 やっぱり、空気、冷たいよね? ジャケットがなかったら、今頃震えてる気がする。

 それより、ナニ? このにおい……クサイ。

 クサイ!

 これ、あれだ。たまに都会の駅とかで浮浪者の側を通ったときににおう、お風呂入ってないにおいだ。

 山でそんなにおい? 風はこっちから……

 あれ? においが消えた。

 風向きが変わったのかな?

 でも、さっきから、左側から吹いてるよね?

 目の前に、何か、出た。

 なんで?

「動くな」

 人間の言葉だ!

 日本語だ!

 人が、いたんだ?

 人がいたんだ!!

 それは、いいとして、ちょっと、…………

 白い、黒い……ナニ? 細長い……これ………………

 刃物、だ。

 すごい、大きな、刃物…………日本刀には見えないけど、それぐらいの刃渡りの……もっと幅が広い……曲がってる、大きな、刃物…………こっちに刃が向いてる……

 長剣とか刀のたぐいだ……青龍刀って、刃の部分だけアップでみたらこんな感じかも。

 でかい。分厚い。凄い刃こぼれだけど……蛇棒が切れ味いいんなら、これも切れ味いいよね? 三国志で想像する剣より、なんか、粗雑だけど……曇ってるのがなんか、怖い……

 切っ先が左側……だから、右側に、人が、いる……

 風が、変わった。

 くさい……

 あのにおい、この人だ!

 風上で私を見つけて、風下に回ってきたんだ?

 そんな、警戒するの、普通の人じゃ、ない……

 いや、においよりさきに…………めっちゃ、危機!

 コマ送りにならないけど、危機だよね?

 というか、コマ送りになってるのかもしれない。

 もう、数分経ってる気がする。

 この、刀が、全然、動かないよ。数分も。

 やっぱり、コマ送りになってるんだろう。

 つまりは、危機だ。

 そりゃそうだ。

 武器突きつけられることなんて、人生でなかった。何も想定してない。想定してるわけない。

 どうしたら、いい?

 ナニを、したら、いい?

 漫画だったら、こういうのは私が不信者なんだから、とにかく、無抵抗だということをわかってもらわないと…………いけない、よね……いきなり刃物出す人が、そこに、いるん、だもん……ね…………

 ここで殺されるなら、お父さんとお母さんと一緒に即死したかった……

 まぁ、そういうのはおいておいて。

 とにかく、ここはあれだ。ホールドアップだ。

 戦意はない、というアピールだけは、したほうが、いい。

 ゆっっっくりと日記と鉛筆を地面に置いて、両手を広げて、肩まであげる。

 切っ先が私の喉元にあるまま、それを持った人が前に、まわって、きた。

 熊?

「どこの部族だ?」

 人間だ! 男の人だ! でかいっ! シルエットは羆(ひぐま)!

 毛皮のフードかぶって、全身毛皮。顔も、かなり日に焼けてて、赤い模様? 目、怖い……

 そうだ、部族っ? いつ? どこっ! 部族って……村とか、家とかじゃなく? 日本で『部族』って言うの、いつの時代? 本当にタイムスリップしちゃったの?

 そんな、漫画みたいな……こと………………

 いやもう、『漫画みたいな』とかやめよう。

 現状で山の中に放置されることなんてないんだから。『普通』で考えるのよそう。

 現状把握しながら、即座に対策をうつしかないんだ。

 とにかく、渇き死により先に、『この人に殺されてすぐ死ねる』って選択肢が出た。もう、面倒臭いから、殺されてもいいかもしれない。乱暴されたら、舌をかむ気力が出るかもしれない。

 走考えたら、ちょっと落ち着いた。

 目の前に出てきた人は、馬に乗って、わさわさして、……すごく、くさかった。

 馬にのって、武器を私に向けてるの?

 この斜面で?

 馬が、足音立てずにここまで来たの? 枯れ草がこんなにあってガサガサ言ってるのに?

 いや、私もてんぱってたから、耳がおかしかったのかもしれないけど……

 たしかに風邪が吹くたびに枯れ葉がカサカサいうから、枯れ葉の音は無視してたかもしれない。自然って案外うるさいんだよね。虫も秋だけ鳴くわけじゃないし、鳥も延々と鳴いてる。

 とにかく、とにかく……手が届く所に馬がいる、って、恐い…………でかい……クサイ……

 前の学校で、乗馬のクラブがあって、見に行ったことはあった。

 あの時は、私も立ってたし、『この馬は安全だよ』って言ってくれたから、たてがみを撫でることはできた。獣の手について、そっと洗ったんだ。犬とかなでるとつくニオイ。うち、ペット飼ったことがないから、『動物をなでる』と『手につくにおい』とか、我慢できない。そこらへんの猫でも撫でる気にならない。乗馬クラブに行ったのも、隣の席の子に連れて行かれたんだ。

 犬より馬。

 斜面に立ってる馬。

 私に武器を突きつけてきてる人が乗ってる馬。

 ふわっ、て、体が浮いた気がした。座ってるのにたちくらみみたいな……そう、怖すぎて目眩してるっぽい……ふらふらする……顔から血が引いていく……

「ふははは…………」

 笑い声が出た。

 なんか、恐さが突き抜けたっぽい。度胸が据わる、ってこんな感じかな。

 あ、馬じゃないな。

 カモシカみたいな、大きな二本のツノが頭から後ろに生えてる。それ持って乗ってるみたい。え? 鐙も無いっ! 裸馬? 手綱と鐙が無い時代? 中国だったら、三国志より前だよ! 日本で裸馬に乗ってた時代っていつ? アシタカ……は、このさい関係ないよね。

 でもとにかく……くさい…………

 においは透明なのに、そのくささで圧迫感があるって凄い……目が痛い……っ……私まで、染まりそうっ! ヤダっ!

「下の者か?」

 ドスの聞いた声。映画で悪役が出すような声だ。しかも、チンピラじゃなく、後ろから出てきた三つ揃えの『紳士』が機嫌悪いみたいな低い低い声。

 とりあえず、『下』ってどこ?『上』もあるの? あなたたち『上』の人なの? 私どうすればいいの?

 あ、なんか毛皮を巻き付けた服? マタギみたいな? カッコは本当に、『もののけ姫』のアシタカみたい。毛皮だけで服を作ってて、腰ひもに一杯袋をぶら下げてる。ポケットがないとそうするしかないもんね。

 顔回りも髭が熊みたいに生えてる。体格だって熊みたい。どんな筋肉があったらこんなでかい刀をこの位置にずっと持ってられるのか?

 熊がカモシカに乗ってるとかおかしい。

 笑ってる場合じゃなくて私。

 いやもう、なんか、飛び抜けて緊張感抜けた。

 これ、どうしようもないもん。

 殺すなら殺せ、って本当にそんな気分。なんか、生き残ろうって気力がまったくないわ。全然無いわ。痛くなく殺してくれたらもうそれでいいわ。逃げるのも立ち向かうのもムリだもん。

 顔の赤いのは怪我? ほぼ左右対称だから、刺青? 描いてる? 顔に文様描く部族? 髪は……長い、のかな? なんかツヤツヤして後ろでまとめてるっぽい、後ろ見えないからアレだけど。『現代』の髪形ではない。当たり前。でも角髪(みずら)でもない。耳は隠れてるんだけどな……

 卑弥呼の頃が角髪だけど、あんな髪形してたの『都心』の人だけかもしれないし、マタギならくくって終わりかもしれないし……時代がわかんないな……というか、タイムスリップしたの確定なのか私。

 だって、とにかく、『現代』じゃ、ない、よね?

 現代の富士見台の丘にこんな人出てきたら警官が囲んでる。というか、だから、警官なんてここに来ないってば。私の住んでる富士見台に、森は、ない。

 現代かどうかはべつにして、私の家があった、あそこらへんでは、ない。だって、あんな大きな亀裂で富士見台自体、崩れてた。

 多分、そうだ……あそこで地割れに飲み込まれて失神しちゃって、死ぬ間に夢見てるんだ! 多分、そう。

 なら、日本でも無いかもしれない。最近読んだ本とかネットで調べたことがごっちゃになって辻褄ついてないんじゃない?

 なら、『考えても無駄』だよね。

 殺されたほうが早く現実に戻れるのかな?

 現実に戻ってどうするの? 地割れに飲み込まれるだけだよ?

 あの地割れも夢なのかな?

 お父さんとお母さんが死んじゃったことも夢なのかな?

 富士山が爆発したことも夢なのかな?

 どこらへんから夢なのかな?

 とりあえず、次はどうしよう?

 ホールドアップしてる指先から血の気が引いて冷たくなってきた。手を上げてられるのもあと数分だよ。

「言葉がわからないか……当然だな」

「リョウ!」

「わかるよ!」って言おうとしたら、誰か、来た。

 漫画なら、この人の片腕的な人……………

 わさわさしてるし、同じようなカモシカに乗ってるけど、髭がなくて、もっと大きくて、怖い、人、来た……キャーッ、って叫んで逃げ出したい。まぁ、そんな機敏さ、体育1の私にあるわけないんだけどさ。

 怖すぎておしっこ漏れるって本当なんだ? でも、止まらないよ……恥ずかしいとか思ってる暇も無いよ……転校してオニューの制服、こんな汚れかたさせたくなかったのに……

 でも、手を上げてるのだけはすごいと、自分でも思う。

 下げたら、すぐ殺されそう。

 最初に出てきたクマさんは『リョウ』って名前?

 この、新しく出てきた人は、この熊さんより上の人だ。この怖さでそうじゃないなら、もうどうでもいいぐらい、……怖い……

 迫力で圧されるって、本当にあるんだな。下がりたい。腰が抜けて動けないだけで、立ってたら、10メートルぐらい下がってる。いや、そんな機敏さ私にないって。立ってたら腰を抜かしてしゃがみ込んでるだろうな。

 顔全面に歌舞伎の隈取りみたいな赤い文様描いてた。つり目の周り、メンズゴスみたいに真っ黒。

「ガリ、なんでもない。小さいのがあるだけだ」

『小さいの』! そんな扱いっ! せめて『いる』って言ってほしかった……とか、贅沢なのかな? まぁ、あなたたちよりたしかに私はかなり小さいけど……一応これでも高校生なんだけどな……うん、チビだよ、たしかに……

 ただ、私より小さいコ、同年代にいっぱいいたから、私が小さいとは、思ったこと、なかったけど……ぎりぎり160センチはあるんだけどな……

「これ、下の服か?」

『リョウ』って呼ばれた人が、怖い人に聞いてる。

 下の服? ああ、あなたたちとはたしかに違う服だけど、きっとその『下の服』でもないと思うわー。

『ガリ』ってクマさんが呼んだ、そっちの人の方が知識あるのね。さっきから頷きもしないしナニも言わないけど……漫画なら、寡黙な知識人、ってところか。いや、知識人はあんなでっかい刀とでっかい弓を背負ってないな……マタギなら、蛮刀みたいな短いので済むよね。

 あんな長い刀持ってるってことは、人殺しの集団だよね。『戦士』だよね。

 この、目の前に突きつけられてる刀も、ツヤピカしたところは殆どない。日本刀ぐらいの刃渡りだけど、もっと分厚くて、もっと幅が広くて、ぼこぼこしてる。刃こぼれもすごい。なんていうの?『化物用武器』って感じのぞんざいさ。でも、私十人ぐらいパンッ、と真っ二つにできそう。

 これがさっきから、全然動かないのがすごい、怖い…………これを軽々扱うとか、どんな筋力なの?

 日本刀突きつけられても怖いと思うけど、絶対、この刀のほうが怖い。

 ますます私がここで殺される確率が上がっただけだし、もう、どうでもいいよ……おしっこで濡れたスカートと下着が冷たい……着替えたい……でも、この人たちの方がくさいから、おしっこのにおいしないのがなんか、少しだけ気が楽……夢ならとっとと覚めて、とっとと死にたい。

 あの亀裂ってどれぐらいあるんだろう。50メートル落下に一秒かかるって言うから、富士山より広い亀裂って富士山より深さ有りそうだよね。概算、4000メートルを落下するなら、800秒? 桁が一つ違うか? 80秒? 一分以上落下するんかー……怖いなー……夢って一瞬でも凄い長く感じるっていうから、その一分間夢見てるんだろうなぁ。だから、亀裂の底に叩きつけられたら、ここでも殺されて、終わり、なのかな?

「だとしたら族長だぞ、この服は。人質に持っていくか?」

 人質?!

「族長じゃないよっ! 私は平民です! 人質の価値は無いです!」

 叫んだら、後ろから風来て、髪が口に入った。あぷぷっ。でも、手を下ろしたら殺されそうで、首を振るしかできない、気持ち悪い。

 多分、この時代の他の人達が、こんな『縫製のしっかりした服』を着てないんだ。そんな時代なんだ。ブレザーって『現代』でも礼装の一種ではあるから、『ちゃんとした服』だし、こんな、毛皮着てる人達からしたら『凄い服』に見えるのはわかる。

 でも、人質にされたって、多分、私に身代金を出してくれる人はこの世界に一人もいない。

 とりあえず、『夢の中でタイムトラベルした』って前提で動いてみよう。あの富士見台の、昔、という設定。なら、この状況はありえる。あり得ないけど、あり得る。

 今まで人形か、って程動かなかった、『ガリ』って呼ばれた『怖い人』が目を見開いた。もっと怖いよ!

「なぜキラ・シの言葉を喋る」

 質問されてるの? 恫喝されてるの? 怖い、この人。

 キラシ? それってどこ? 国名? 地名? 部族名? この人『どこの部族』って聞いてたから、それも部族名? というと『国対国』で戦争する前の時代? いつ? 八岐大蛇がいた時代? 大和民族がいる? やっぱり卑弥呼の時代? まさか、現代にキラシって国がある?

 リョウって人が刀を、背中の鞘に入れてくれた!

 ウワアアあああ……ナニ、この安心感っ! やっぱり、『武器』って怖いわ! 怖かったわっ! なんか死ぬ確率下がったわ! 多分。

 良かった、と、思って、いい、の、かな?

 あ、手を下ろしてた。

 もう一度上げたら、ガリって人が、手を下に降ってくれた。もう上げなくてイイってこと? 手を下ろしてみたら、うなずかれた。よかった。もう、手が冷たくて、もうちょっとでしびれてくるところだったわ。

「私はあなたたちの言葉も最初からずっとわかってますよ!」

『言葉が同じ』って絶対、こんな時代なら重要な筈。仲間だよ! 私、あなたたちと同じ言葉を喋る仲間だよ!

「キラ・シの女だ」

 怖い人がなんか言ってる。

 いやいや、私はその部族の女ではないですよ。でも否定したら切り殺されそう。

「女? お前、女か?」

 リョウって人がガリさんから私を見て、ちょっと跳び上がった。それで馬が足場を固めるためにダカダカダカって、足踏みして、そこらへんの枯れ葉が舞い上がって土がこそげてた。そこまで驚く?

 まぁ、昔になればなるほど『スカートは女』じゃないから、わかんないのか? というか、あの怖い人はなんで女だってわかったの?

「はいっ、女です!」

 リョウさんが馬を降りて私の前に来た。

 めっちゃ陰になった! 私が!

 でかい!

 馬にのっててもわかったけど、さらにでかい! そしてくさい!

 駅でこんなニオイしたら、そっちを見ないように早足になるけど、いやもう……あとずさりする元気もないです私。

 あひっ! 腰掴んで抱き上げられたっ!

 悲鳴も出ない!

 くさいっ! でも暴れるのも怖いっ! というか暴れるような機敏さ私にない! なんていうか、カメな気分。切実に甲羅がほしい! センザンコウでもいい! 団子虫でもいい。何か私を守って! この際、ロングコートと帽子でもいい!

「キラ・シの言葉がわかる女かっ! なぜこんな所に? …………俺のだぞっ、ガリ! いいなっ! 俺のだぞっ!」

 リョウさんに私の所有権取られた!

 私は私のものだ、なんて…………まぁ、言えないよね、こんな時に……

 殺される危険性はなくなったみたいだけど、これは『今晩怖い系』じゃないですか? 絶対怖い系じゃないですかっ!

 向こうの、ガリさんが、口元に指を当てて、首を傾げた。

 ナニ考えてるかわかんないけど、助けてはくれなさそう。

 ……仕方ないか…………昔の人が、顔も知らない人とお見合いして結婚とか、不憫だと思ったけど、自分がそんな目に合うとは……

 女だから助かったのかもしれないし……もう仕方ないよね……ここで自殺するんでなきゃ…………

「降りるまでは手を出すな」

 ガリさんが、ひっっっくい声でぼそっと呟いて、あっちに馬で歩いて行った。

「それぐらいの分別は持っているぞっ! お前じゃないんだからなっ!」

 あの人、そういう人なんだ?

「誰がこんな子供に手を出すかっ!」

 もうガリさんいないのにリョウさん怒鳴ってる。子供じゃ……ないけど………………否定はしないでおこう。

 そっか、私は子供に見えてるのか!

 じゃあ、今晩怖いのも、ナシ? かも。

 というか『山を降りる』まではナシが決定したんだ?

 なんか、まだ、よかった……かな?

 もう、緊張続きで、ナニがいいんだか悪いんだか。

「馬は乗れるか?」

「無理です」

 抱えあげられて馬に座らせられそうになった。

 やっぱり抱えられるとすごいくさい。慣れるのに時間がかかりそう……綺麗な空気吸うたびにくさいんだもんな……というかもう、私もくさいんだろうな……動物を撫でたときに、手に動物のニオイついたもんな……あれが全身でされてるんだよな…………鬱……

 あ! 日記と鉛筆! 地面に置いたまま!

「ちょっと待ってください、そこに、日記と鉛筆があるんで、持っていかせてください」

 それぐらいのわがままは聞いてくれる? いける?

 私が指さした先をその人がギョッとした感じで見下ろした。いや、武器ではないです。そんな、なんか、凄いにらむ必要ないです大丈夫。

「その『変わってる』の二つです。ひらべったいのと、棒状の」

 爪先でそれをつつかれて、私がうなずく。

 私を抱えたまま、取るためにしゃがんでくれた。私を離してくれる気は無いらしい。

 でも、ノートと鉛筆は拾ってくれた。良かった。

 とりあえず……シャツの内側にノートを入れてボタンを閉めれば、落ちない! 鉛筆はポケットへ入れてふたのボタンを止めた。

「噛んでろ。舌を噛むから」

 そこらへんで拾った木の枝を渡されて、いやだったけど噛んだら、ものすっっっっごい速さで斜面を駆け下りられた……枝が無かったら舌噛んで死んでた、絶対。お尻痛いとか目が回るとか呼吸できないとかもうそんなどころじゃない。

 でも、この人ちゃんと優しいんだ。良かった。

 まぁ……そりゃ、『女だから』なんだろうけど。

 なんか、タイムスリップの第一段階はどうにかクリア?

 でも、タイムスリップの大体のお約束は『元の場所から「現代へ戻る」』だから、もう、それは期待できないなー。今すぐ戻られたって、あんな『ただの山の斜面』、どこかなんてわからない。

 まぁ、元に戻ったらあの亀裂の底かもしれないし、生きてただけましなのかな。

 長い夢なのかな。

 うん、夢だと思っておこう。父さんと母さんも、佐川くんも、元気でいると、思って……いたい……よね。

 私多分、ベッドの中で夢見てるんだよ。

 うん。そう思ってよう。

 夢なんて、見てるときは長いもんだよ。うん。

 なんかチラチラすると思ったら、目の前にたき火があった。空は、暗い。凄い星!

 ナニ? 私寝てた?

 いつから寝てた?

 ああ、そう。

 走り出した時に谷底が見えて、ヒィッてなったのが……最後の記憶…………だよね?

 つまりは、恐怖で失神したんだ?

 じゃあ、考えてたと思ったのは夢の中で? 働き者だな私。

 少しでも自分を褒めておかないとSAN値復活しないので、自画自賛パレードをする。

 怖くて失神なんて、できるもんなんだな……そんな体験、したくなかった…………あ、頬が、涙でガビガビになってる。口も、多分、よだれたらしたんだ。クサイ! 顔を洗いたい!! 後ろの髪が前に来てた。指はニオイ以外綺麗っぽいので手櫛で整える。どうせ、リョウさんの胸の毛皮で髪の毛なんてリョウさんと同じニオイしてるよ……わかんないんだからもうニオイは諦め!

 ここって、水で顔を洗って許される時代だろうか? 水って、昔になるにつれて貴重品だよね?

 でも、『森のある山』だから、そこかしこに湧き水は有るはずよね? 洗顔は大丈夫かな?

 炎の向こうにわさわさした人が一杯いた……

 焚き火を真ん中に十人ぐらいが座ってる。

 私は、リョウさんが胡座くんでる左足に座らされてた。靴下は汚れてないっぽい。

 馬から下ろされて、抱いて歩かれて、こんな状態でも私寝てた? いい度胸だな、私。私が思ってるより図太いわ私。

 というか、お膝に座ってるの、怖いんですけど。

「……下ろしてもらえませんか?」

「駄目だ」

 はい。

 腰抱えてる手が強くなって、もう動けません。はい。動きません。でも、足、しびれませんか? 私は、地面に据わるよりは柔らかいし、温かいから、助かるけど……

 ここが『キラシの村』なの?

 向こうにも、焚き火があって、何人かが囲んでる……のが、いくつかあるみたい。

 なんか凄いたくさんいる?

 木々の葉っぱが下から照らされてる所は焚き火があるんだよね? 凄い、向こうまで、明るい……

 焚き火だけで三〇個ぐらい有りそう。一つの焚き火に一〇人いるとして三〇〇人! 10クラス分! 私の中学校全員分ぐらい? 今の高校はもうちょっと多い。

「食え」

 リョウさんが私の手になんか載せてくれた。小さい栗。渋皮ついたままなのでそれをぺりぺり剥がしてると、後ろで笑った声が聞こえた。

 リョウさんのくちもとが、ちょっと上がってた。

 よかった。

 笑えるんだ?

 何がおかしかったのかは知らないけど、私に対して、ナニカ笑ってくれるなら、ちょっと安心。『私が楽しい』あいだは、殺されないよね? 多分。

 ナニが面白かったんだろう? しかし、この栗、渋皮が強情。実と癒着してる。現代の栗は、これがとれやすいようにした改良種なんだよね。このまま食べてみる? やっぱり渋い! 苦い! もしゃもしゃする! 意地でも渋皮は剥く!!

 でも疲れたので、半分に割って、歯で中身をこそげてみた。この方がラクかな?でも、口に当たる渋皮がもしゃもしゃして不愉快……

 また、リョウさんが栗をくれた。今度は半分に割ってくれてる。もう、中身だけ歯でゴシゴシこそげて食べた。転身甘栗よりパサパサしてて、もさもさしてて、甘さは、ほとんどない、かな? 甘いかと言われれば甘いって感じ。じゃがいもより少し甘いぐらい。

 リョウさんがじっと私を見てた。

 たき火の炎がオレンジだからかな? 顔に書いていた赤い『紋』が見えないから、普通のおじさんに見える。普通ったってグリズリー級だけど。

 なんか、みんな、私を見に来た。その全員にリョウさんが『俺のだ』って言ってる。しつこい。わかったよ。もう……

 族長の長男、グアアさんと、シルアさんって人だけ名前を紹介された。私と似たりよったりの年齢かな?

 ただ、なんか、いやな感じの人達。あれだ、戦争反対集会に連れて行かれたときに、集まってた、特にうるさい人たちと同じ目つきだ。

『恐い』んじゃなく『イヤ』なんだわ。

 そういえば、リョウさんとか、『怖い』だったし、『くさいからイヤ』だとは思ったけど、ああいう『イヤな目つき』は感じなかったな。今振り返っても、………………パンダみたいな目をしてる。かもしれない。

 パンダって、あの顔のガラで垂れ目に見えるけど、まんまるい目なんだよね。ひぐまも。ただ、テレビでみるだけだと、大きくてのったりしてて、かわいい感じする。リョウさんもあんな感じ。

 実際には獰猛で、するどい爪を持ってて、恐いけど。それは、リョウさんも一緒だろうな。

 もう、恐さが突き抜けちゃったから、今、恐いとは思わないけど。というか、恐い人の膝に座ってるとか、ずっと恐かったらもう心臓止まってるわ。

「リョウっ! なんか面白いの拾ったってーっ? どれ?」

 甲高い声。子供? たき火の光以外は闇でよく見えない。

 ドンッ、てリョウさんが揺れたから私も一緒に揺れた。私がリョウさんの左膝に座らされてたんだけど、右膝に座り込んできた、小さい子。でも、私より半周り大きい、かな?

 あら、髭が無い。白いうりざね顔。美少年!

 両手を私に向けてヒラヒラさせるから、私も栗をスカートに置いてヒラヒラさせた。多分これ、この部族の挨拶だ。他の人も、出会い頭によくしてる。最初にリョウさんにあった時、『無抵抗』のために私はこれしたけど、挨拶だったから、その場で殺されなかったのかもしれない。

 というか『無抵抗』装うなら絶対コレ、するよね。ホールドアップ! だもん。

「俺、ル・マ。どこにいたんだ?」

「私は春菜。リョウさんに拾ってもらうまで、どこにいたのかわからないんです」

「おーっ、キラ・シ語喋ってるっ! ホントにどこにいたんだ? 洞窟から逃げてきた?」

 洞窟?

 彼がリョウさんの膝でバタバタするから、私も一緒に揺れる。酔う…………やめて……

「馬も無いのにあそこにいたのだから、逃げたとしたらもっと前だ。だが、逃げたら村が大騒ぎをしているだろうから最近の話ではないぞ。キラ・シから女が逃げたなんて聞いたことが無いし、こんな奴は知らん」

「だよなーっ! 俺も知らないっ! ほっっそい指だなっ! 剣ダコも無いぞっ! 薄っ!」

 栗を拾おうと思った手を引っ張られて、舐めるように見られた。彼の手は、ちょっとガサッとしてるし、節くれだってる。体格は同じぐらいだと思うんだけど、指はたしかに、私より少し太い。そりゃ、男と女だし、違うよ。

「女なんだから、剣も弓も使えんだろう。歩けるかどうかもわからん。怪我させるなよ。俺のだからな」

 また言ってる。

 というか、歩けるかどうかわからんってどういうこと? 女の人って歩けないの? どうして? だから、ずっと私を抱き上げてるの?

「ル・マっ! 見つけたっ!」

 ルマくんのとなりにまた髭の無い子が来た……って、………………なんてっ! 美少年っ!

 ルマくんも綺麗だと思ったけど、桁違いだわっ!

 美少年? だよね? 女の子じゃないよね?

 夜の暗さがパァッと明るくなるぐらい綺麗っ! 背景に薔薇が描かれる感じの……

 凄いっ! 美人ってここまで美人なもんなんだ?

 だって、この人たち、化粧してないよ?

 隈取りはしてる人いるけど、この子はスッピンだよっ! それでこれだけ綺麗って凄いっ!

「ル・マ! ほらっ、すっげぇ美味い栗っ! リョウ叔父、それ、見つけた女?」

「サル・シュ、見ろこれっ! こいつすげぇ細い指してるっ!」

 なんか一度にしゃべられて、耳がキーンってなった。

 元気良い集団ってこれだからいやなんだよね。いつもなら一歩引いてしまうけど、リョウさんのお膝からは引けないから、私を間に二人が甲高くしゃべってる。まさに渦中にいる私。この人たち声が大きいから、耳が痛いよ、ホント。頭痛がしてきた。

 美少年がルマくんの口に栗を押し込んで、ルマくんも押し込まれるままむぐむぐ食べてる。兄弟? その栗、渋皮ついたままだよ?

「そりゃ女なんだからそうだろ。ル・マが変なんだよ。ハイッ! 俺、サル・シュ!」

 また手をヒラヒラされたから、私もヒラヒラする。

 あれ? もしかして、ルマくんって、女の子?

「はい、甘い栗、一個やる!」

 ルマ……ちゃん? が持ってる私の手に、サルシュくんが栗を一個載せた。

「爪がキラキラしてる……」

 ルマちゃんが私の指、しげしげ見てる。

 透明マニキュア、塗ってた、そういえば。学校でもそれだけは怒られないから。おしゃれのためじゃなくて、爪が割れるから。

「凄い服着てるし、手もこんなだから、どこかの大族長の子かと思った」

 リョウさんが私の手に、また木の実を載せる。自分は肉を枝であぶって食べてる。それを口元に持ってこられたときにいらないって言ったから、木の実だけ。そんなじゅうじゅう言ってるお肉食べられないからっ! 熱いからっ!

「一応、辺りは見て回ったが、村も家も無かった。どこから来たんだ? こいつ足もこうだからな。連れて来られて捨てられたのかもな」

 靴下の足をルマちゃん達に持ち上げて見せられた。あ、靴下汚れてる、けど、歩いた汚れじゃないっぽい。靴下の足首にくっきりと、握ったあとが黒い。幽霊に足をつかまれた感じで、ゾッとした。

「この毛皮こんな白い! 雪うさぎの皮か?」

「毛皮じゃないよ、綿の靴下だよ」

「クツシタ?」

 毛皮の具足を履いているこの人たちに『靴下』なんてわかるわけないか……

 多分、この部族、『織物』を知らないっぽい。みんな毛皮着て、紐で体をぐるぐる巻いてる。『縫製』してる服じゃないっぽいんだよね。

 裾先にゲートル巻くみたいに絞ってる感じで、毛皮を紐でぐるぐるにしてるっぽい。本人もクサイだろうけど、絶対、この毛皮がクサイ。

 ただもう、慣れちゃったのか、全然ニオイ感じない。食べてるし、お肉焼いてるニオイもしてるからだろうけど……多分、私もそんなニオイしてるんだろう……いやだと思っても仕方ない。ずっとクサイのよりマシと思おう。パンツもいつのまにか乾いてたし……

 サルシュくんが、自分が食べる合間に、自分で焼いた肉をナイフで切ってルマちゃんの口に突っ込んでる。

 ルマちゃんもむぐむぐ食べてる。私の爪をずっと見つめながら。そんなに気に入ったの?

 サルシュくんの持ってるナイフというか、蛮刀? も、ガッタガタだ。ただ、お肉がすごい切れてる、バター切り分けるみたいな軽さ。切れ味凄すぎるんだ。

 リョウさんが突き付けてきた刀も、日本刀よりはボコボコしてた感じだけど……って、日本刀間近で見たことないけど。磨製石器とかじゃなくて、すごく『人工』のものだった。あんな武器を持っててこの服装だから、武器だけどこかで買ったのかな?

 目の前の地べたに木の実が山盛りされた。その一番下、地面に直接だよ。

 私を抱えたまま、リョウさんが胡桃をナイフで割ってる。ナイフっても、まさしく『蛮刀』って感じの、サルシュ君の持ってるのより、幅がある。木の柄に毛皮巻いただけのナイフ。黒いというか、白いというか、真ん中はでこぼこしてるけど、縁はシャキッと切れそうなナイフ。金属の棒の、根元を毛皮で巻いて、先端を研いでる感じ。その、毛皮の先から出てる金属部分でくるみの殻を割ってる。

 包丁に『アゴ』ができたのは、江戸時代だから、それより前は、ナイフは持ち手からまっすぐなんだよね。そういう技術がない時期のナイフ。そういえば、リョウさんの刀も、アゴはなかったっけ? 刃の部分の幅は広かったけどなぁ……

 リョウさんのナイフも刃こぼれ凄い。凄いけど、一発で胡桃割れてる凄い。胡桃すぐ割れるのも凄いけど、量も凄い。

 これ、おやつじゃなくて食事なのかな? 枝に差した肉を焼いたのと、木の実だけ?

 物凄い、蛮族?

 それほど寒くはないから、そんな北でもないよね? って、ここが夏だったらわからないか……日本でいうと、9月ぐらい?『現代』でも9月だったし、季節は一緒なのかな?

 木々の間から見える空にはオリオン座は見えない。

 私が唯一わかるオリオン座。

 北斗七星はわかんないんだなー。だから北極星もわからない。

 でも、タイムスリップに季節もナニも関係ないよね。夏ならオリオン座無いし……

 というか、星がたくさんありすぎてオリオン座見えないだけかもしれない。

 昔、スキー旅行に行った山の上で見た空より、もっと星が多い。

 それこそ、砂浜の砂みたいに星がある。

 夜空って『黒』じゃないんだ。

 新月でも、少しはナニカが見えそう。

 こんな星空見たさに、現代では山の上にわざわざ行くんだよね。長野県阿智村だっけ? 日本で一番星空が綺麗な所、『景色道楽』の父さんが、いつもあちこち連れて行ってくれるんだ。来週の休日に家族で旅行に行くはずだった。

 ここは、多分、阿智村より綺麗な気がする。

 森の木々は黒いのに、星空が紫色でキラキラしてる。

 夜空って紫なんだな……藍色からのグラデーションが、凄く、綺麗。本当に星雲の写真みたい。

 凄く綺麗な夜空。

 地上に焚き火しかないからだ。

『人家の灯』が無いからだ。

 辺りに村が無いんだ……

 いつなんだろう、今。

 この夢、いつ終わるんだろう……

 私は、いつ、『現代』に戻って亀裂の底に叩きつけられるんだろう……

 お父さんとお母さんと一緒に死ねたら良かったのに……夢でも一緒にいたかった……

 泣いてたら頭撫でられた。大きい手はリョウさんだよね。小さい二つはルマちゃんとサルシュくん。

 みんな優しいね。優しいね。

 初めて会ったのに、優しいね。

 優しいね……

 

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