そっか……あんなに足の速い彼女でも、駄目だったのね……
産褥の体で、あんなにかるがる崖を登ったけど…………追いつかれたんだ……?
そのそばに小さな首。
凄く綺麗な白い赤ちゃん。サル・シュくんの子だ。
父親がつけてくれなかったから……名無しのまま、手放した。
私の子は? いないの?
まだ、生きてるの?
「私の子は、必ずあんたを殺すよ……? それでもいいなら、好きにしたら?」
「気の強い………………流暢な羅季(らき)語をしゃべる癖に、蛮族か。ならば、この女も殺そうか?」
兵士に連れてこられた女官さんと子供たち。
「……マキメイさんっ!」
「ハルナ様っ!」
生きてたっ! そうだよね、お酒飲まないもんねっ! ミアちゃんと、サル・シュくんの子供の、ナナ・シュくんも抱いてる。
子供は、助かったんだ?
そうか、マキメイさんはキラ・シの女じゃないから、サル・シュくん白かったから、白人と、まだ、間違えられてるんだ? なら、サル・シュくんの子は、生き残る可能性が……ある。キラ・シにだって白い人はいた。シル・アさんも白かった。ガリさんだって…………
大陸の、キラ・シでも、生き延びる? 生き延びられる?
ガリさんの子が外にも生き残ってるのなら……
「仲のよい女官だったそうだな。身の回りの世話に、置いてやってもいい」
「………………ありがとうございます……。雅音帑(がねど)王の温情、いただきとうございます」
ベッドから転がり落ちて、どうにか、土下座、した。
このまま気を失ってしまいたい。全身が痛い。おなかが痛い。糸鋸でも吐いてるんじゃないかってぐらい、呼吸するたび苦しい。世界が回ってる……
でも……
「ほう……? そうか……、そのような真似もできるのか? 本当に、頭のよい女だの? 逆に、恐ろしいわ」
私の子の首はない。
ガリさんの子の首はない!
あったらここに持ってきたはず。
逃げ切ってるんだ……
誰かが逃がしてくれてるんだ!
もっと、逃げて…………
逃げてっ!
「もう、キラ・シの大人は全部殺したでしょう? 草の根分けてるんだから、キラ・シに育てられてない黄色い子供しか残っていないのでしょう?
その子たちを、助けてください」
ふかふかの絨毯に額をこすりつける。
「もう、あなたの国民の女性も殺さないといけない事態になっているはず。これ以上は無駄でしょう? 今、あなたの国にいる黄色い子供は、キラ・シに会ったことがない……ただの、あなたの国民です」
「……そなたの、働き次第だな」
噛みちぎってやりたかった。
『黄色い子供の粛清』は、表向きの告知が、下げられた。
一般人は、黄色い肌の子供を、追わない。
けれど、きっと、雅音帑(がねど)王の、直属の部下はまだ追い続けているはず。
だって、私の子が、いないから。
ガリさんの、正当な跡継ぎ……
黄色い肌だった。
切れ長の瞳だった。
私は、毎年、雅音帑王の子を産んだ。
そして、雅音帑王は死んだ。
私の子が王になり、私は王太后になった。
他の王妃を、みんな、毒殺したから。
他の皇子をみんな殺したから。
私が……この手で、殺したから…………
「馬鹿ね、雅音帑(がねど)王…………毒を盛られた私が、毒を盛らないと思ったの?」
王の臨終の間際に囁いてあげた。
「そうなの、その顔が見たかったのよ……」
生きてる間に逸物を切り取って、窓に来てた鷹に上げた。
この国に、私に逆らう者は、いない。
私の息子の、即位式。
車李(しゃき)の全国民が、祝ってる。
車李の、砂漠の民よりは白い私も、息子も、この国では神扱いされた。
車李の、国民が、祝ってる。
キラ・シの子の即位を、祝ってる。
ガリさんはきっと、こんな国が欲しかったんじゃないでしょうけど……
リョウさんはきっと、こんな国の世話なんて、したくなかったでしょうけど……
サル・シュくんは、こんなことのために死んだんじゃないでしょうけど……
「でも…………キラ・シの女が、車李を盗りましたよ……ガリさん…………」
国民の歓声に涙があふれた。
マキメイさんの子も生き残ってる。
町の黄色い子も、子をなした。キラ・シは、三世代目が生まれてる。
雅音帑王は、本当に、黄色い子の粛清を、やめてくれていたから。
「ガリさん…………キラ・シの血は、続いていますよ…………続けさせます、私がこの手で……」
「甚枝(じんし)の王子、ハルナ王太后陛下に拝礼」
各国の使者が、私の子の即位を祝ってくれた。
「あら、あなた…………目が細いのね」
「はい……代々、我が国はこういう顔です。
400年前の王がこういう顔だったようです。
私の父や叔父は、私が生まれる前に死にましたが、もっと、黄色かったです」
なんて……ガリさんに似た…………王子……
右に若い兵士、左に老いた兵士を連れて、ひれ伏してる。
「400年……?」
『400年ほど前、キラ・シの東で倒れていた男を族長が救ったんだ』
久しぶりに、リョウさんの声を思い出したわ。
『今回』は一度もリョウさんに抱かれてはいなかったけど…………思い出すのは彼の声ばかり……
『この世界』に来て初めての人だった。
優しい人だった。
なんでも、教えてくれた人だった。
『今回』も……ガリさんと同じ日に、死んだ……
ガリさんが目指した、東への旅。
400年前のシルシを追って、降りた、旅。
400年前の族長が、東から来た人の言葉をガリさんまでつないだ。
そうよね、そんな賢い族長さんが、『下』を見に行かない、わけ、なかったよね……
道しるべの金塊が途中までしか無かったと言っていたから、断念したのかと、思っていたけれど……
甚枝は大陸の北西の端の国だわ。羅季に降りるのとは、まったく方向が違う。
それを、リョウさんたちは見失ったから、羅季に下りたのね。
キラ・シは、既に『下』にいたのね……
400年も前から……ずっと…………
「ハルナ王太后陛下にごらんに入れたい者がございます」
隣の若い兵士が顔を上げた。
「…………ガリさん……?」
なんて、そっくりな…………この王子も似てると思ったけど、もっと…………
「はい。ガリ・アの名を、継ぎました…………母上……お元気なウチにお会いできて…………良かったです……」
私の……息子?
ル・マちゃんが連れて逃げてくれた、私の息子?
私の、息子?
「…………顔を……見せてちょうだい……」
駆けていきたいのに……今すぐ抱きしめたいのに………………もう、私は、この玉座から、動けない……
「こちらに…………来て……」
平伏しながらそばまで、来て、くれた。
私の手はなんてしわしわになってしまったの。
爪紅を塗って、たくさん指輪をしても、わが子一人抱き締めることができないなんて…………
「そう………………ガリの名を継いでくれたの……?」
「はい……レイ・カが、ずっと、守ってくれていました」
「レイ・カ……さん……?」
王子の隣の、老兵士。
「ああ……いえ、私は………………」
「あなた、だったのね……レイ・カさん……」
思い出したわ。
『今回』の最初の夫。
「見えてなくて…………ごめんなさいね…………」
彼が、顔を、上げた。
若いときの、彼の顔を、思いだした。
「狼みたいな雰囲気は前のままね……」
「……見えて…………いる、のです、か……?」
あの精悍なまま、岩のようにしわを刻んだのね。
「あなたの子を……死なせてしまって、ごめんなさいね……」
「いえ……あの時は、流行り病でした。みな、子を失ったのです」
「私、あなたに嫌われてると思って…………全部、忘れて、しまったの…………」
なんて若い頃のことを思い出しているのかしら、私。
何度ガリさんに聞かれても、あなたの名前が頭に残らなかった。
「あの時は、申し訳ありませんでした………………あなたさまがあまりに小さくて……もろくて……触ったら…………砕けてしまいそうで………………近くにいるのが、怖かったのです……」
「うふふ…………わたくし……骨ばかりでしたものね…………」
そうだったの? 嫌われていたわけでは、なかったの?
「葡萄を一つずつ食べているし……食が細いし…………ただ、怖くて……どうしていいか、わからなかった……」
心の中で、ナニカがふわりと溶けていったみたい。
「氷のような人…………と、あなたを、忘れようと…………して…………忘れてしまったのね……」
「……仲間から責められましたが…………意味もわからず、俺も……ただ、忘れようとしました」
「ごめんなさいね…………最後のあの日も、あなたがいたことを、全然知らなかったわ…………」
私は、あなたに、愛されたかった…………ただ、それだけだったの。
「それなのに、あなたは、守りきってくれたのね?」
「ガリメキアの…………ただ一人の跡継ぎを………………手放すわけにはまいりません…………あの時、ル・マが俺を突き飛ばしました。絶対に生き残れ、と」
「ル・マちゃんの首は……届いたわ」
「……生き残り……ました……」
彼が泣いた。
「ようやく、これで…………死ねます……」
土下座に近く頭を下げて、床が濡れていく。
「まだよ。キラ・シの復興を、しないと……ね……」
そう、キラ・シの復興を、しましょうね。
「だって、ガリさんが生きていたのですから」
彼も、顔を上げて、笑ってくれた。
「…………はいっ! 各地で、ガリメキアとサル・シュの子が生き残っているのを、覚えている限り甚枝(じんし)に集めました。みな、二人に似た、キラ・シです」
ああ、やっぱり…………サル・シュくんの子は追手を逃れたのね…………そうね……ガリさんも、白かったから…………あの時は、寿命が短いのが確約されていて、怖かったけれど……それで、子供は生き残ったのね……
逆に言うと、レイ・カさんの子たちはみんな、殺されたのね?
「ハルナが………いえ、王太后陛下が、身を挺してキラ・シへの追手を止めて下さったと……聞きました………」
「あのおいぼれの男根を、このまえようやくちぎってやれたわ……」
レイ・カさんがキョトンとして、苦笑して、頷いてくれた。
「キラ・シは、滅びないわ……」
「はい……」
「ガリさんが……命を駆けて降りてきた、その意志は、もう、受け継がれた……」
そう、思ったのに……
甚枝(じんし)は隣国の摩雲(まう)に攻め滅ぼされ、焼き尽くされた。
車李は今、新制ナガシュに城門を、破られる……
あの時キラ・シが滅ぼしたはずだったのに、王子が残ってたんですって。ラスタートと組んで、攻めてきたんですって。
私の子は、全部ナガシュに殺された。
ナガシュも、キラ・シがいたから、黄色い子供の粛清を、始めたの……
私が、キラ・シの女だと、覚えていた重臣が、いたから。
キラ・シ憎しと、育てられたジャラード王子が、居たから……
白い炎のような、真紅の瞳の戦士が、私の首をはね飛ばした。
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