原野を夕羅丞相(せきらじょうしょう)の馬に乗せられて、ぽくぽく歩く。
彼がル・ア君だと、知ったのは二カ月前。
彼は今、葱坊主みたいに髪が短い。五分刈りより短いかな?
その髪は真っ白。私みたい。
「色を抜かないといけないから、女王様の風呂で二週間浸かってた」
「女王様って誰?」
「マリサス王」
「…………男の人?」
なぜそんなあだ名をつけるの?
あとで紹介してもらったけど、『女王様』よりは『お姫さま』だった。すごい美少年っ!
「あなた、どうして死んだことになってたの?」
「父上に殺され掛けた」
「……どうして?」
「さぁ……」
そんな答え、ある?
「ガリさんがル・アくんを殺すなんてないわよ」
「あったんだ」
「そんなはずない」
「俺は、手足を折られてっ一晩中拷問されたんだよっ!」
後ろから怒鳴られて、ヒャッてなった。
相変わらず、キラ・シは声が大きいわね。
「でも……どうして生きてたの?」
「逃げた」
「手足を折られたのに?」
「俺の死体を、見たか?」
一緒に前を向いて馬に乗ってたから、どんな顔をしてるのかは、見えなかった。
それがよかったとも思ったし、見たかった、とも思った。
ただ、どう思い出しても、全然記憶がない。
「私、あの頃、狂ってたから…………キミが死んだことも、知ったのは一年後だったわ」
「狂ってた? いつから?」
「君が産まれた時から……? かな?」
はっ? って、感じの音が後ろから聞こえた。
「サル・シュが死んだあとは泣いていたが、そのあとはずっと政務をしていたぞ」
ここで『あの時のあと』とか言葉を濁さないのが、ホント、キラ・シよねぇ。殺してやりたい。
キラ・シって『代名詞』って言葉を知らないのよね。『彼』とかじゃなく、名前を呼ぶの。何回でも。
「全然記憶ないもの」
「沙射(さしゃ皇帝)を担ぎだして、俺たちの最大の邪魔をした」
「それは、覚えてるわ」
そこだけは、覚えてる。なぜかしら?
「負け掛けた」
「負けるなら、あなたが悪いのよ」
「…………そうだな」
ククッと、彼が笑った。
変わった笑い方。
口を閉じたまま、腹筋だけで笑ってる。近くにいると、くくって喉が鳴った音が聞こえるけど、少し離れたら聞こえないよね、これ。
前は、彼を見るとサル・シュくんやル・マちゃんを思い出したけど、今は、『彼』でしか、ない。
そうよね、他の誰でもないものね。
「ハルの先見は、当たった」
「死んだと聞かされたとき、殺してやろうかと思ったわ」
「約束は果たしただろうっ!」
「でも、百石(ひゃくせき)投げていい?」
「駄目だ」
ふーんだ…………
「父上も、俺が殺した」
「ガリさんも完全体じゃなかったものね。自分より弱い人に殺されたなんて、無念よね」
なんか『現代』のあの大都市で排気ガスにまみれたい…………この、延々続く山野……うんざりするわ…………
「父上は、自分より強い奴に殺されてよかった、って、言ってくれたよ」
「ガリさんもお世辞が言えるようになったのね。
人って成長するのね。すごいわ」
大きなため息で私の髪が吹き飛ばされそう。
「ハルは、俺を殺せたら殺したい?」
「……そんな質問、聞いてどうするの?」
「答えて」
答えてって言われたって……
「あなたを殺したら、サル・シュくんが助けた意味がなくなるじゃない。100まで生きなさいよ」
ガリさんは、47才まで生きたけど、それでも長すぎるって言ってた。彼は、どこまで生きられるのかな?
私と、どっちが早いだろう。
抱き締められた。
「よかった…………本当に恨まれてるのかと思った」
「恨んでるわよ」
「でも、」
髪の毛にキス……サル・シュくんみたいなまね、やめて。
「殺したいほどじゃないんだろ?」
「あなたのせいでサル・シュくんが死んだんだもの」
ほら……手の上に、彼の骸骨があるみたい。
あの重さも、まだ、感じる。
「仇を討ちたいわけじゃないんだろ?」
「あなたのせいで、リンちゃんが死んだんだもの」
記憶がないから、ろくに可愛がってはいなかったと思うけど、でも、あんなになついてくれてたから、つらくは当たってなかったんじゃないかと、思う、けど…………彼がどう死んだのか、私は知らない。
「だから、生き残ったよ」
ナニが『だから』なんだか……
「だから、100まで生きなさいよ」
「ハルが、確認してくれるならな」
ずうずうしい。
「甘えないで。一人でも100まで生きなさい」
また、ため息で髪が吹き上がる。やめてよね、辛気臭い。
小さな家の前で馬を降ろされた。
「誰の家?」
あばら家だよ?
「さぁ?」
「なんのために下りたの?」
「ハルがそろそろ疲れてきたかなと思ったときに家があったから」
私の手を握ったまま中を見て、一緒に入った。埃臭い……
埃だらけの納屋。ささくれ立ってる壁や床、テーブル。くすんだこの部屋に、このきらびやかな『丞相』が立ってるのが、凄く似合わない。
「外の方がマシじゃない?」
「中のほうがマシだろう」
「……私、大丈夫だから、お城に帰りま……しょ…………」
押し倒された。スカートの中に手が……
「なに考えてるの?」
「死ぬまで俺の子を産め。ハル」
「それは……いいけど…………」
もう既に、一人産んでるし……
「いいのか」
語尾の上がらない疑問。キラ・シの男、キライ。
「ここはいや」
「もう限界」
「ナニが限界なのっ!」
「ハル、今日が孕み日!」
ああ……ガリさんの能力、受け継いだんだ?
「驚かないのか?」
「ガリさんの血って凄いわね」
じゃあ、ガリさんのお父さんもそうだったのかな?
「……今、その名前出さないで……」
『丞相』サマの声がなんか、へたれた……これがサル・シュくんなら、かわいい、って思うんだろうけど………………真っ赤な骸骨だからなぁ…………
「ねぇ、私が産んだあなたの子、何人か分かってる?」
「一人」
「あら」
知ってたの? あなたの元で二人産んだのに。
「誰の子?」
「リョウさん」
「そうか……」
私の首筋でくんくんする。もう……この子たちは本当に……
「ああ……あなたは、あの時に私だって分かってたんだ?」
そっか。
彼は変わったけど、私はそうそう変わらないものね。
大体『ハルナ』ってわかってるわけだし、そうか? だから助けてくれたんだ?
勝った負けた、って思ったのは私だけだったのね。
凄い、賭に出たのに……
勝つことは決まってたのかー…………
ん? なんで、私だとわかってればル・ア君が助けてくれると思ったの私? ガリさん憎しなんだから、私も一緒に殺されて当然だったじゃない?
じゃあ、やっぱり『勝った』でよかった?
そうよね。
リョウさんと、あの水車小屋で自害する、っていう選択肢も、あったわけだから……
あの時は、思いつきもしなかったけど………………
「16まで一緒に居たんだけど?」
私のうなじでぐりぐりされる。
「だから?」
彼が、私の前に回り込んで、真正面からにらみつけてきた。
「ハルの顔は覚えてるよ! 窶れてて驚いたけど」
「ふーん……」
私をひっくり返さないところが、彼よね。
相変わらず、優しいのね。
サル・シュくんの教えかな?
泣きたくなってるんだけど、涙が、出ない。
掌で骸骨が凍りついてるみたいで……
「ふーん……って…………」
「私は全然分からなかったわ」
そう言えば、顔に紗を掛けてたわよね? あれ、ばれるの怖がってたんだ? そっか。
「そりゃ、一番身長が延びたときだったし、」
「どうでもいいわ…………」
もう終わったことだもの。
キラ・シの第一世代は全滅。
『ル・ア君が生まれる意味』もわかったし……これでキラ・シが生き延びるなら、もう、『いい』よね? 今度はちゃんと、私も死ねるかな?
「…………そうだな……」
抱き締められたまま、ゆーらゆら、揺れられた。
「……いい加減、離れてくれない?」
「ここで抱く」
「正座する?」
ヒュッ……て、彼が息を呑んだ。
マジで?
「まだ覚えてたの?」
私の胸に額をこすりつけてうだうだしてる。かわいい。
「あそこに帰ったら……こんなふうにハルに甘えられない……」
「甘えたらいいじゃない」
「夕羅(せきら)丞相がそんなことできない」
「ガリさんは、人前でも私に甘えてきたのに」
「名前出すなって……」
うだうだしてる。
「……私に、そんなに甘えたいの?」
「会ったころは甘えさせてくれてたのに…………突き放されたからな……」
そんなこと言われたって、もう覚えてないし……
「仕方ないじゃない。
あなたのためにル・マちゃんとリンちゃんとサル・シュくんが死んだんだから。
殺さなかっただけ褒めてよ」
うう……って、彼が私の胸で唸った。
「もうずっと……サル・シュくんと一緒だと、思ってたから……」
あと三日早く彼が帰って来てくれていたら……彼の子を身ごもっていられた。それなら、私はまだ、マシだったかもしれない。
『サル・シュくんのモノ』は全部、あの時になくなっちゃったから……
リンちゃんは、砂漠で渇き死にか焼け死にか、したんだわ……他の子供たちと一緒に……きっと、最初に飛んで行ったマッちゃんは、打撲で死ねたんじゃないかな? その方が楽だっただろうと思う。
リンちゃんは、サル・シュくんを恨んだかしら? 呪ったかしら?
あんな砂漠で、砂を敵にして死ぬなんて…………
それでも、もう、涙は、出ないのね、私……
「かなえたからなっ!」
鳴き声みたいに、彼が叫んだ。
「キラ・シの子は、残したからなっ!」
涙目の丞相。凄いレアなんだろうなぁ。
でも。
ごめんね。
もう、私の心、石みたいで、何も、感じない。
痛さも、嬉しさも、無いの。
『ここまで来た』の、『初めて』なのよ……
「百石はやめてくれるよな?」
「……私が死ぬまで、黄色い子達が粛清されなければね……」
えー……って胸で泣いたけど、反論はないみたい。
相変わらず、素直ね。
私の覚えてるままのル・ア君ね。
頭を撫でたら、じょりっとして、笑えてしまった。
さらさらの、あのキラ・シの黒髪を想像してしまっていたから。
こんなショートヘア、キラ・シにはいないから。
「褒めて」
「ナニ?」
「ここまで来たことだけでも褒めてくれ……」
本当に泣きそうな顔をしてる。
けど、ごめんね。
何も、同情したいと思わない。
思えない。
悲劇のヒロインとして嘆き続けてかまわれたいとも思わない。
何も無いの。
ここで殺してくれても、いいわ。
もう、どうでもいい。
「早く綺麗な部屋に戻ってお風呂に入りたい」
雷の速さで馬を走らせたわ。凄い。
私がお風呂に入っている間に、彼は誰かに呼ばれてどこかに行ってしまったみたい。
ものすごく、眠い。
でも、寝かせてくれないのがキラ・シよね……ホント。
コメント