あのあと、またすぐ出ていき掛けたガリさんを、リョウさんが肩に担いでお風呂に投げ飛ばした。
基本的腕力では、熊さんのほうが強いらしい。
ル・マちゃんが追い駆けたから私もサル・シュくんも咄嗟に走った。
お風呂で濡れ鼠のガリさんに笑い掛けたけど、黒髪の下から睨まれたら悲鳴が喉で凍ったわ!
サダコより怖い!
あのままお風呂から両手ついて出てくるだろうけど、その姿が既に想像で怖い!
「お前がここで洗わないと、どれだけ気配を消しても、ハルにもばれるぞ?」
なぜ私! 睨まれたじゃないよぉっ! 怖いよぉっ! リョウさんのバカぁっ!
「説明しろ」
「帯を解いて、毛皮を外して、体を湯の中でこすって、洗うんだ」
「うぉーっ! なにするんだーっ!」
なんか悲鳴が沸いてきた!
そっか、ガリさんの部隊の全員を、既にお風呂に入った全員が担いできたんだ!
サル・シュくんが私とル・マちゃんを、すさっと戸口からよけてくれた。さっきのガリさんみたいに、男の人達がざぶんざぶん投げ込まれていく。
お風呂が一瞬で赤茶色に染まって、凄い言い争いにハウリング!
サル・シュくんが指くわえた!
咄嗟に、私が耳をふさいだのが、ギリ間に合った!
指笛っ! こんな反響するところでっ!
みんながシン、となったところにリョウさんが裸になってお風呂に入る。
「こうやって、洗え。全員脱げ」
みんなが、ガリさんを見た。
濡れ鼠のガリさんと、全裸のリョウさんがにらみ合う。
なんて争いなの……
最初に、ラキのお城の前の鎧の人達をやっつけたより、怖い……
「もう一度、聞く。なぜ、こんなことをしている」
ガリさんは冷静だ。
「クサいし汚い。だから、洗って綺麗にするんだ」
「すぐ血を浴びる」
理由が殺伐すぎだよ、ガリさん。
「浴びたらまた洗うんだ」
「なぜ」
「『下』では、頻繁に洗わないと、股間に虫が卵を産みつけるらしい」
それ、ここで使う理由じゃなかったよね、リョウさん。褌の話だったよね。
「下の毛にな、いっぱい卵を産みつけて、それがかえると、皮膚を食い破って腹から口に出るらしい」
ひぇっ……って、悲鳴と、洗い出した水音があちこちででる。
「だから、綺麗にして、風通しよくするのがいいんだと。毛皮だと、ここでは湿気る。それでカビが生えて、骨まで溶けるらしい。
それに、くさい。洗ったらわかる。においだけで、見えなくてもそこにいるのがわかる。
奇襲は全部通じんぞ」
真ん中が嘘八百で、ラストを真実で締めた。
全裸でお風呂に浸かって、ガリさんに睨まれてもそれが言えるリョウさんって凄い。
さすが副族長。説得のためには手段を選ばないんだ?
でも、そんな理由で……
ガリさんが、ベルトを解いて、お風呂の外に投げた。毛皮を解いてく。
理由、信じた? ガリさん、あんな理由、信じちゃった!! ガリさん、意外にかわいい!
サル・シュくんも、服を脱いでそっとお風呂に浸かった。信じたんだ?
ル・マちゃんが脱ごうとしたのを私と女官さんがとめる。ここで脱いじゃ駄目。
みんながしずしずと毛皮を外して、お風呂の中で体をがさがささすりだす。
もう泥水。
「この水が白くなるまで浸かって、さすりながら浸かっていろ。あっちが熱いから、気をつけろ」
リョウさんは、右向こうの、水の出る方に行って、体をこすって、上がって、回ってきた。さすがに、この手前の泥水の中で上がったら意味がない、とわかったらしい。お風呂初心者なのに、やっぱり、リョウさん頭いいな。
ガリさんが体さすってるの、やっぱりおかしい…………なんか、こういう『普通のこと』してるのがすべておかしい。
めっちゃイケメンが、パーマのためにカーラー頭にいっぱいつけてるみたいな情けなさ。
「リョウさん、服着たら?」
「ここでは裸でも構わんだろ。暑い」
まぁ、まだここもお風呂だしね。汗だらだら出てるし。
「ル・マちゃん出よう。私達もびしょびしょになっちゃう。昨日入ったから今はいいよ。夜入ろう。
というか、今入ったら、汚れる」
白いお風呂の床にべったりと、乾いた血の塊とか垢がかたまったのとかがどろどろあふれてくる。メタンガスが出そう。
脱いで入ってくれたら、ここまでじゃなかったんだけどな……幾らかは底に沈むだろうな……
「お風呂掃除大変だよね……ゴメンね、マキメイさん」
「あのにおいでずっといらっしゃるよりよほどマシです。ぜんっぜん、大丈夫でございますよ!」
あーうん、そうだね。彼女はニッコニコして、みんなが洗ってるのをしばらく眺めてたけど、また私に耳打ちして、リョウさんと三者会談。
「食料が、今晩分の80食分しかございません」
「それって、お城で育ててるブタとか鶏とか全部つぶしてってことだよね? 来年育てるブタとか鶏、いるの?」
「ございません」
マキメイさんは明快だった。
「大臣がほぼ皇族のかたでしたので、自害されてしまっていて、財政や税金のことがまったくわかりません。
大体の食材は近在から取り寄せていましたが、その支払いのための金子は車李から頂いておりました。それがどこにあるか、存じあげません」
「キラ・シの食い物はいらん。自分たちで狩る。ハルの言っている鶏やブタは、生かしておけ。500年続いたものを、今日明日で絶えさせるな」
さすがリョウさん。
「元々が、ガリの部隊は勝手に食ってる。キラ・シも狩らねば腕がなまるからな。この近在で困った獣がいれば、さきにそれを狩って来よう」
「裏山に大きな熊が数頭います。あと、イノシシや鹿が畑を荒らします」
リョウさんがおなかの前辺りでぐるっと両手で輪を作った。
「この大きさ以上の獣を全部狩って構わんな?」
「……それは…………はい……」
お城の前に鹿とか、イノシシとか、熊が山になった。
キラ・シって本当にすごいな……狩りってそんな簡単なものじゃないはずだよね?
「ここは山が肥えている。キラ・シが数年いても狩り尽くせぬ。良い山だ」
「熊がっ! もう五頭もっ!」
マキメイさんが、ものすごく驚いてた。
「お城の兵士が、軍隊で仕留めようとしても死人ばかり出た大羆ですのに!」
そりゃ……、キラ・シに一瞬で殺された軍隊だもんな。勝てないよね。
「ル・マ、ル・マ! この熊、俺が狩ったんだぜっ!」
サル・シュくんがル・マちゃんを、一番大きな熊の前まで連れてきて、その熊をバンバン叩く。
「ほらっ、牙、追加追加っ!」
胸に掛けてた牙の首飾りを見せびらかした。
「なに? サル・シュくんが、最後のしとめをしたってこと?」
「違うっ! 俺が、一人で、狩ったの! だから、牙を飾るの!」
「えっ!」
叫んだのは私じゃなく、マキメイさん。
雰囲気的に、言ってることが分かったらしい。
「みんなで、どれだけでかい熊を狩れるか、の競争やってるからさっ! まー、この熊より大きいのはいねーだろっ! 俺が一番強いっ!」
拳を振り上げるサル・シュくん。
「一人で狩った獣の牙だけを、飾るんだ」
「えっ?」
今度は私がびっくり。
「小さい牙なんて、飾るの子供だけ。一人で狩った獣の、上の右の牙だけを仲間の前で抜いて飾るんだ」
サル・シュくんの首には、四つの牙がついたペンダント。今の、あの大きさの熊の牙がその大きさで、それより大きな牙が四つ……
「15才で、そんな大きな熊を四頭取ったってこと?」
「そうそう。どう? もっと褒めろよー!」
「凄いっ! 凄い凄いっ!」
拍手したら、シンとした。サル・シュくんもびっくりした顔。
「私、ナニカ、悪いことした? これ?」
音を出さずに叩く真似をしたら、サル・シュくんがコクンとうなずいた。
「手を続けて叩くのは、魂を山に返すときの礼だ。部族内に死人がいる時しかしない」
サル・シュくんの後ろにいたガリさんが、……教えて、くれた……いつのまにっ! 私、ずっとそっち向いてたのに、なんで突然現れるの?
やっぱりおなかの下がズーンと重たくなるぐらい、怖い。しかも、もう血まみれだし、なまぐさいし……
さっきお風呂に入ったのに……って、マキメイさんが、顔を覆ってうつむいた。
「ごめんなさい。もうしません」
「二度したら、リョウを一発殴る」
「しませんっ!」
私じゃなくてリョウさんとかっ!
ん? それって、初めては許してくれるってこと?
あ、ル・マちゃんが向こうでなんか跳ねてる。
ガリさんが、両手を私に向けて広げて見せた。
キラ・シの、礼を、されて、る……?
「ル・マを助けてくれた。ありがたい」
ふわっっっ!
お礼? お礼言われた? ガリさんに?!
威圧感凄くて、お礼されてる気は全然しないけど、ちょっと表情が柔らかい感じするの、凄いっ!
ガリさん、めっちゃイケメン!
今まで、顔をマジマジ見たことなかった。
睨み返したことはあったけど、目しか見てなかった。
そっか……あの美少女のル・マちゃんのお父さんなんだもんな…………
パンダが怖い目をしてる、の逆だ。
シベリアンハスキーがかわいい目をしてる、って感じ……いや、そこまでじゃないけど。隈取りが怖さを上げてて、実際に怖いけど……
ああそっか…………
ガリさん的には、私は『信用できない』、『うるさい女』だったんだ?
だよね。
話聞いてる限り、『キラ・シの女』が歩き回ってるのはル・マちゃんだけだって言ってた。
ラキのお城で、私が灯台教えたとか、お城のこと教えたとか、ガリさんは最近聞いたんだ? その上で、ル・マちゃんの『温石帯』。
本当にル・マちゃん、気持ちよかったんだな……よかった!
あれ?
なんで、私はガリさんと見つめ合ってるんだろう。
顎をくいっと持ち上げられて、……いつのまに、こんな、そばに?
おなかの底からジワジワと冷たくなっていくような、熱くなっていくような……
くちびるフワッて親指で撫でられて、なんか、来た! ヒュッて、背骨から鼻になんか抜けたっ!
世界が回ってる。体が浮いてる。
真っ黒なガリさんの目に、私の顔が映ってる……
キス……される……?
どうして?
「カァッ!」
鼓膜痛い音。ナニ? なんか、ぶんぶん振り回されてるっ! 吐き気っ! ナニ? どうなってるのっ!
リョウさんのにおいだ。私、リョウさんに抱きしめられてた。後ろから。
「ガリっ! ナニしようとしてたっ!」
「味見だ」
「お前だけは、ハルの命が危ないとき以外、二度とハルに触るな!」
「来年は俺のだぞ」
「それでもだっ!」
「……了解」
ガリさんが、掌を肩の辺りでヒラヒラさせる。
私を、見る。
凄い、流し目っ!
男の人なのに流し目が、なんて色っぽい…………あ、真っ暗。
リョウさんに、目をふさがれた。
「ガリに近寄るなっ、ハル!」
「私は立ってただけだよー…………」
「逃げろ」
「逃げられないよー。
いつ近寄ってきたのかも全然わからなかったし。
ガリさんに勝てるわけないでしょ。
私に、速さを求めないで下さい」
「………………そうだな……」
納得されてしまった。
リョウさんの手がのいたから、まだガリさんそこにいたっ!! ファッ!
いつもなら、目を閉じてても『そこになんかいる』ってわかるのに。
「サル・シュ!」
リョウさんがサル・シュくんに怒鳴る。意味不明。
「え? 俺? 俺に族長をとめろと?」
無理無理、ってサル・シュくんが笑う。
その頭をガリさんが撫でた。サル・シュくんが、ル・マちゃんみたいにエヘヘって、凄く、凄く嬉しそうに笑う。
五歳児みたいな、天真爛漫な笑顔。こういうサル・シュくん、本当にかわいい! 絶対、発光してるよね。
ガリさんも和やか。
ああ、笑えるんだ?
そっか……なんか、こないだは戦争中だったから、というかそんな感じで、キツかっただけ?
にっこにこのサル・シュくんの目の前に、ガリさんが右手を出した。
なんか、つまんでる。
大きな、牙。
サル・シュくんの目が点。
「でっかいっ! でっかい熊っ! さすが父上!」
向こうでル・マちゃんが叫んだのを、サル・シュくんが振り返った。さっきから跳ねてたのそれ?!
サル・シュくんが、自分の持ってた牙を、ガリさんのそれと並べる。
小指の爪の幅分ぐらい、ガリさんのが長かった。
「負けたーっ!」
地響き立てそうなぐらい地団駄踏んで悔しがるサル・シュくん。
ガリさんは、フッ……て、不敵に笑って、サル・シュくんの頭をポンポンした。
族長が、15才の子供と張り合って、大熊を狩ってきたんだ? なんて大人げない。
いや、でも、『強さ』が指針のキラ・シなら、それが当然なのかな? サル・シュくんに当てつけ、じゃなく、とにかく部族の男の人達より強い、って『ずっと示し続ける』のが普通なのかな?
大変だな、族長って。
副族長のリョウさんは、ずっとここにいて狩りに行ってないのに……
ガリさんの後ろからル・マちゃんが走ってきた。私をみて、掌を見せて、それで口をふさぐ。黙ってろ、って合図。ナニが内緒?
ガリさんに、飛び掛かった!
頭に抱きつくかと思ったら、ガリさんがくるっと振り返って肩に抱き上げる。二人でふりを合わせたのかというぐらい、スムーズな動き。まるでニューヨークのミュージカルみたいだった。
ル・マちゃんがぶつかっても、まったくガリさん、足の位置が変わらなかった。まぁ、ル・マちゃんも軽いけど、そういうのじゃないよね。
あ、ガリさんは、リョウさんのミニスカートだけじゃなくて、ズボンみたいなの履いてる。長袖だし。掌にもなんか、布かな? 巻いてる。手っ甲代わり? 暑くないのかな?
「やっぱり父上が一番強い! 一番大きい熊っ! 一番っ!」
嬉しそうだなル・マちゃん。つり上げた魚みたいに、ガリさんの肩でバシャバシャしてる。全然揺れないガリさんホント凄い。外見的にはリョウさんよりものすごく細いのにね。
ル・マちゃんを肩に乗せたまま、ガリさんが城の方へ歩いていく。リョウさんを振り返った。
「オフロだ」
その言葉に、マキメイさんがパッと笑う。
単語で言われたらわかるもんね。
というか、私が『お風呂』って言ってたから、キラ・シのみんなが『オフロ』って言ってるのが…………さすがに、ガリさんの口から出たら、笑える……
「お風呂はこちらですっ! いつでも入れますからっ! お使いになってくださいませっ!」
女官さんに指示を出しながら、マキメイさんがお城に駆けていく。
入り口をくぐるときに肩のル・マちゃんが頭をぶつけないよう、ガリさんがかがんだ。
なにげにスパダリだ。
サル・シュくんは、ガリさんが倒した熊に駆けてって、みんなでひっくり返して、なんか見てる。他の人達は、そこら中で獣の解体して、木の枝にお肉干してる。
美観のために植えられてるはずの、枝振りの良い松とかの大木が、旗飾りみたいにお肉飾ってる。シュール!
さすがに胸が苦しいよ、リョウさん。
「……リョウさん、いつまでこの体勢?」
私はずっと、リョウさんに後ろから抱えられてた。ぬいぐるみになった気分。
「立てるのか?」
「立てるで…………あれっ?」
リョウさんが左手を外してくれたから歩こうとしたらカクンと膝が抜けた。地面に膝をつく前に抱き上げてくれる。お城に入った。
「ガリにあれをされて、立ってる奴を見たことが無い」
誰彼なしに口説くのか、あの人は!
「ガリさんって、どっちが多いの?」
「どっちとは?」
「私の目をつぶせって言ったのと、今の、口説こうとしたのと……」
リョウさんの言いようを聞いてるだけでも、かなり女好きのナンパな人だよね? ナンパ? かどうかは別にして、そういう人なんだろう。リョウさんでも威嚇するぐらい。
あれ?
今、私、ガリさんに口説かれたんだ?
えっ?
えっ…………っ!
ガリさんに、『口説かれた』? 私が?
「どちらも普通ではないな」
やっぱり、私を口説いたのも珍しいってこと? その方が怖いんですけど?
でも、目をつぶせ、とかが普通じゃなくて良かった。
「大体は、まず抱くからな」
そーですか。
ナンパ決定だ。
あの怖さで女の人に手が早いとか、怖すぎる。
無理やりしないとか言ってたけど、ガリさんがそこにいて、イヤって言える女の人、いないよっ!
「私、抱かれてないよ?」
「ハルは俺のだからだ。ガリが言っただろう。『味見』だと」
ぞわっ、と背筋が冷たくなった。
『来年は俺のだぞ』
あれは、…………だから、そうなる、の?
「子供の間はガリも手を出さない。安心しろ」
あー………………
リョウさんに嘘をついているのが、超、胸痛い……
キラ・シが、お城の前でいっぱいたき火で肉を焼いてたむれてる。山の中での食事と一緒だ。
そしてそのまま外で寝てしまった。地面にごろんと。
「せっかくお風呂に入っていただきましたのに……」
マキメイさんが遠い目をしていた。
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