二カ月? そのころなんて、どうなってるかわからないよ? このお城にいるかもわからないんじゃない?
「どうして?」
なんで? 早く抱いてくれたら、もう終わるのに!
「ハルは、『キラ・シで生まれた女』ではない」
そりゃ、そう、だけど……
「だから、ハルに、男の選択権は、ない」
顔から、血の気が引いた。こめかみが痺れてくる。
「キラ・シは、初雪の時の『勝ち上がり』で、女を選択する。
今、ハルを抱いたら、十カ月後にハルは子を産んで、次に、ガリに抱かれることになる」
それは、ずっと、言われてる、……けど……
「もう大陸に降りてきたんだから、どうにかならないの? みんないっぱい女の人が居るのにっ、私じゃなくてもいいじゃないっ! もっと美人、いっぱい居るじゃない! リョウさんが言ったように、私みたいなやせっぽち、どうでもいいでしょ!」
「お前は、ハル。頭がいい」
褒められて、怖くなったの、初めてだ。
「この城に来てからの、ハルの働きを、キラ・シ全員が認めている。サル・シュは女に逆らわないとはいえ、そのサル・シュにさえ、痛い目を見せた、ハルの手腕と度胸にみな驚いた」
あんな……ことで?
「この城に来た日にガリが『来年は俺だ』と言ったのは、たんに女が少ないときの癖だが、今は、違う」
私の背中で、リョウさんが拳を握った。
「ガリも、ハルのような、頭の良い女の、子が、欲しいのだ」
足元に、穴が開いたみたい。
リョウさんが、抱きしめていてくれるから、落ちてない。ただそれだけの、大穴。
私一人では、耐えられない……魔窟。
「ガリは今、本気で、ハルを欲しがっている」
抱かれてるのに寒くて、その背を撫でてくれてもっと温かくなったのに、もっと、震えが、……リョウさんの服に、しがみつく。その指も、しびれてく……
「だから、今は、ハルを、抱けない」
「ガリさんに遠慮……して?」
そんなところまで、ガリさんが好き?
「違う」
リョウさんの手が、私の頬をつかんで、覗き込んできた。
「『勝ち上がり』の時にハルがまだ孕んでいれば、ガリも諦めるかもしれない」
だから、二カ月後?
リョウさんからガリさんに、『次の女を選択する』の時期が移る時に、私が妊娠してたら、『選べない』から?
その時に、ガリさんが他の女の人を選んだら、私がその一年、ガリさんのものでなくなるから?
「……その『勝ち上がり』って、やるの?」
「それはする。部族の一位を決めるためだ。ガリが一位から落ちれば族長をやめる、ということだから、ガリは絶対に勝ち上がる。ガリは、死ぬまで一位だ」
それって、『いつまでも一位』じゃなく、一位じゃなくなったら死んでるってことだよね…………怖い……
「リョウさんは、一位には、なれないの?」
「ガリには、刀では、勝てん」
「力では上でしょ? ガリさんをお風呂に担いで行ったじゃない」
「力だけならもっと上がいる」
「このお城守れるのっ、リョウさんだけでしょ? リョウさんがいないと、キラ・シは困るでしょ?」
「それは、『今』できた、困ったことだ。キラ・シの山では、『村』は全員で守っているから、俺はいなくても良かった。
降りてきてからは、確かに、俺がいなければどうなっているのか、と、たまに思うが。いなければいないで、ガリは困らないだろう」
「どうして?」
「前に向かって走り続ければいいから」
朝日が、川の向こうも照らしだした。
ギリギリ見える向こうの岸壁。下からみたら水平線しかないのに。
あの向こうに、ガリさんは、どんどん、走っていけば、いいんだ。
そうか。
このお城のこととか考えずに、走っていけば、いいのか……
そして、『駄目なら死ぬだけ』なんだ……
「キラ・シの族長に求められる『力』は、『敵を殺す』力だ。一人でも多く、早く、敵を殺す力だ。
レイも強い。戦士たちに指示を出して、数人、数十人で敵を追い込んでいくのがとにかくうまい。だから、みな、レイの言うことを聞く。別動隊の長は常にレイだ。
サル・シュの、たった一声で、疲れている男達を立ち上がらせる力も、凄い。
ガリも、戦士たちに指示は出せるが、レイほどうまくはない。サル・シュのように、一言で全員を元気づけることは言えない。それ以前に、あいつは口が下手だからな。誤解を生みやすい。このシロにとどまって、女官たちと話をするとか、絶対にできない。
細いし、白いから、日に焼けると大変だし、腕力だけで言えば、そんなにない方に入るだろう。
だが、一人で、レイ・カ達数十人が殺せる数の、何倍もを、一気に殺せる」
あの……台風みたいな一振りで……だよね?
「あれを『山ざらい』と呼んでいる。人も、家も、柵も、木も、何もかも、地面ですら、一瞬でさらえてしまう。
立ってるものは全部二つになる。殆どは、それで終わった。あれをされて向かってきた部族などいない。
逃げるのを殺して回るだけで、他の戦士が育たないから出陣するな、と言われるぐらいだった。
何回かそれをしたら、キラ・シに立ち向かってくるものはいなくなった。キラ・シは、おかげで、他の村の助け手でしか戦えなくなったが……
そのうち、『キラ・シが助け手にいる』というだけで、誰も手を出してこなくなった」
『山ざらい』! ネーミングは別にして、……凄すぎる…………
「敵にガリがいても、ガリなら、刀を打ち合わせる前に殺せる。一人一人の戦士の強さを無にできる、あれより凄いワザはない。
ガリが先頭に立って100人なぎ払えば、みな、逃げる。だから、シャキの戦士も、簡単にさらえたのだろう。
シャキはあまりに人数が多くて、ガリが100人さらえたのを見てない奴が向かってきたから、三回続けてしたらしい。そのあとは逃げたから、他の戦士たちが刈って回った。
100人を一瞬で殺して、他の者たちの戦闘意欲をなくさせる。常に戦を勝ちに導ける。
そんなことは、誰にもできない」
やっぱり化け物だ、あの人……
「サル・シュが、刀の届いていない所を切り刻むワザを持っている。距離は両手を広げた程度だが。
サル・シュの刀をこう、止めているのに」
リョウさんが、両手を伸ばして刀を差し上げるような格好をした。その向こうから、サル・シュくんにたたき落とされた、って感じみたい。
「止めたやつの刀は無事なのに、体が真っ二つになる」
うっわ…………怖い……
ガリさんのもサル・シュくんのも、多分、ゲームでいうと『カマイタチ』なんだろうな。
すっごい早い刀の振りで、真空を作り出してそれを飛ばして切ってるとか、そんな感じの、ファンタジーワザ。でも、二人にしかできないなら、たしかに、『飛び抜けて強い』ことには、なるよね。
「サル・シュのそれは『刀折り』と言われてる。折れてはいないが、刀をかざしてもその向こうを切るというのは、無茶苦茶だ。それを子供の頃からしてたから、あいつは『変』でも、キラ・シの山で生き残れた。それに、強弓使いだしな」
「ゴウキュウ?」
「強い弓だ。
果てしなく遠くまで矢が届く上に、百発百中だ。隣の山に敵の歩哨が二人いれば、ほぼ同時に目を射抜ける」
恐ろしすぎる……
「弓と刀と、両方強いと言うのは無茶苦茶だ……遠くなら矢が来るし、近づけば『刀折り』だ。誰もサル・シュを殺せない」
「……でも、サル・シュくん、キラ・ガンに襲われたんだよね?」
「あいつらは刀に毒を塗るから、かすったら終わりだ。
12人に囲まれて、五人殺したけど、とは言っていたな。
だから、捕まったときに手足を折られたのだろう。足を折ると運ぶのが大変だから普通は折らない。強すぎたから、全部奪われたんだな」
そっか……強すぎるから、余計に痛めつけられるんだ? その場で殺されなくて良かったよね……って思うしかないよね、それ。
「サル・シュはガリより器用だから、『刀折り』を軽く出すことができる。文句を言った大人を、軽く刻んで黙らせるから、誰も何も言えなくなった。
だから、あいつがさらわれても、誰も探さなかったんだが……」
サル・シュくん…………
「だが、勝ち上がりで軽く刻んでも相手は引かないから、出しても無意味だ。
本気ですれば『殺すワザ』だから、『勝ち上がり』では出せない。だから、下にいるだけだろう。
殺さずに戦うということが、面倒臭いようだな。殺していいなら、レイよりよほど強い。とにかくサル・シュは寸止めが嫌いなんだ。だから、殺す気がなければ、振るわない。
ガリは『山ざらい』がなくても『一人の戦士』として、誰より強い。殺す戦も、殺さない戦もできる。あの勢いで刀を振って寸止めできるのは、もう…………息を呑むしかない。
サル・シュのように鬨の声を上げなくても、ガリは、『そこに現れる』だけで戦士たちが元気になる。『ガリがいれば勝てる』。そう思わせる男は、他にはいない」
俺は、そこまでは、どうしても、いけない……と、リョウさんが呟いた。
たしかに、リョウさんが現れても、『目上の人だから』注目を集めるけど、後ろ向いてたら分からない。
もちろん、この体格だし威圧感はあるけど。サル・シュくんみたいに、出てきたらパッと日が差した、みたいな感じもない。
ガリさんみたいに、なんか来てる……出たーっ! みたいな衝撃もない。
サル・シュくんは黙って立ってると、いることに気付かないけど、ガリさんは分かるもんな。そこにいますね、って背中向けててもわかる。あれ、怖いからヤダ。
でも、確かに、殺し合いをしている最前線にガリさんがいたら、凄く、頼もしいだろうってのも、わかる。
目をつむっていても、族長がどこにいるかわかる、って、凄く、楽だよね。
「そのうち俺はサル・シュに抜かされる。あの二人の強さは、キラ・シの中でも桁が違う」
『強い男』でないと意味がないキラ・シの中で、リョウさんも凄く強いのに、『絶対に勝てない人がいる』ことの絶望感は、どんなだろう。
こんなに強い人が、ちゃんとお城を守れる能力がある、って凄いことだよね? 普通なら、強い人って脳筋だから、そんな『管理』できないよね?
「ガリの次は、サル・シュが族長だろうが、あいつは、なる気があるのかどうか……わざと勝たないかもしれん。
身内びいきをしたとしても、レイがサル・シュより強いとは、思えん。
ただ……サル・シュも、戦士に指示を出せる奴ではないから、戦い方が違う、とは言える。サル・シュには別動隊を任せられないからな。
サル・シュは、『よくしゃべるガリ』だ」
ガリさんの姿で、ル・マちゃんのスカートめくりしてるの想像して、息が止まった。今度から、気分落ち込んだらこれ思い出そう。
「ガリが現れると息が詰まるが、サル・シュが現れると日が昇ったかのようだ。みな笑顔になる。あれは、凄い」
やっぱり、凄いんだ。
それでも、四位なんだ?
強さが一番のキラ・シで、わざと負ける意味?
「ル・マちゃんの、そばにいたいから?」
「そうだろうな」
ガリさんも、レイ・カさんも、殆ど顔を見ない。
前線部隊だからだ。
ずっと走り回ってるからだ。
「休まなくて大丈夫なの?」
「ガリは休みに帰ってくる。あいつはたまに、少し長く、安心して寝たいらしい」
「レイ・カさんは?」
「あいつが寝ている姿を見た戦士はいない。……まぁ、女の元では寝てるらしいから、心配はしてない」
はいはい。そんだけ戦って、走り回って、元気だね!
でも、『三位』になってしまったら、後陣の、ル・マちゃんのそばには居られないから……?
だから、わざと、負ける、の……?
サル・シュくん、あんなに、戦うことが好きなのに?
「サル・シュが後ろにいてくれるのは安心だが、もったいないとは、思うな。今は足りてるからいいが、戦況が押してくれば、前に出ざるを得んだろう。
まぁ……あいつもガリと一緒で、逃げる敵を追い駆けるのは面倒くさがるから、今は出番がないといえばない」
「『山ざらい』しちゃうから?」
「そうだな」
サル・シュが出るようになったら、キラ・シはかなり無理が出てるな……って、リョウさんが呟いた。
でも、そんな強いサル・シュくんを完全温存して、圧勝してるんだから、本当にキラ・シ凄い。個人個人の強さだと、軍隊が組織だって向かってきたら勝てないんじゃないかと思ったけど、そう言うときにはレイ・カさんがやってくれるんだろう。
なんか……敵無しじゃない?
「大陸の人間は、弱いから、まぁ………しばらくは大丈夫だろう」
「そうだよね。凄く弱いよね」
「本当にな。このシロに来た時に、矢一本で首が飛んだのは驚いた」
「えっ? アレ、わざとやってたんじゃないの?」
「サル・シュの強弓なら分かるが、矢、なんてこんな細いもの、キラ・シの首に当たって千切れるわけがない」
背中の弓壺から矢を出して見せてくれたけど…………いや、いやいやいや……矢尻が凄いでかい。矢の本体も太いし、重いっ!『三本の矢』とか言うけど、これは……私の力では、一本でも折れないよ?
「このお城の入り口に武器が立てかけてあったじゃない? そこに弓矢もあったけど、こんな太くなかったし、矢尻も矢羽根もこんな大きくなかったよ。あの矢は折れた。うん、膝に押しつけて折ってみたもん」
三本まとめたらたしかに折れなかったから『三本の矢』って、真実は別にして、折れないんだなぁ、って納得したんだ。
「……そうだったな………………そう、だな……たしかに、なんだこの細い矢は、とは思ったな」
「それこそ、リョウさんだと、熊にとげが刺さった感じだよね、あんな矢だと」
「そうだな。敵があれを持っているのなら、深くは刺さらんから安心だと、みな言っていたな」
刺さらないんだ? キラ・シの体凄すぎる。
「毛皮を着ていれば、だから、今は少しは刺さるかもな」
「……そうだよね、あの毛皮って、鎧でもあったよね」
「ヨロイ?」
「シャキが着てる黄色いの。ハマルの赤いのとか、ラキの白いの」
「毛皮より柔らかかったぞ」
「……毛皮よりは硬いと思うけど……柔らかかったのは、鎧じゃなくて、人間の体だと思う。こっちの人、きっと、キラ・シの皮膚より薄い。そりゃ、刺さらないよ」
「矢を撃つ奴はいるけど当たらない、とも言っていたな。矢も下手のようだ」
弓を触ってた私の手。その下に、リョウさんが手を添えた。
リョウさんの小指が、私の親指の二倍ぐらいある。分厚くて大きな掌。
「赤子の手のようだな」
裏返された。豆がつぶれて皮がむけてる。馬に乗る練習してるから。あちこちザクザクしてる。馬のツノをもって乗るから、ツノで手を切るんだ。
ガリさんがしてたように、毛皮を手に巻いてるんだけど、今度は毛皮で蒸れて皮膚が柔らかくなって、こすれて擦り傷になる。やっと、最初の豆が治ったところで、ちょっとマシになったんだ。
リョウさんが、いやそうな顔をした。
「馬に乗れた方が、たしかにいいが……、ハルが一人でアレを乗りこなせるとは思えん。その間、マキメイとシロのことをしてくれた方がいい。
ハルを馬に乗せることは誰でもできる。だが、シロのことはハル以外にはできん。ハルが鍛練で疲れて寝ていると、マキメイではろくに会話もできん。
馬に乗れないからと、ハルを下にする者はいない。馬の鍛練はやめないか?」
やめろ、とは、言わないんだよね、リョウさんって。
「…………そっか…………じゃぁ、体力系、もう、全部しないね。ずっと甘えるよ?」
「ハルは頭で、戦士以上の働きをしている。部族四位と言われただろう? あれは、みな、本当にそう思っている」
「え? 冗談じゃなかったの?」
「ジョウダン?」
「……えっと…………その場限りで面白いことを言うこと……、かな」
「ジョウダンではない。お前がこのシロでしていることが、サル・シュ以上の手柄だと、みな、考えたからだ。
キラ・シは嘘をつかない。ジョウダンで、真実と違うことは、言わない。嘘をつけば百石を投げられる」
百石と聞くと、サル・シュくんのアレを思い出す……ムカー!
「キラ・シの指笛は、上位5位までなら、名指しで呼べる。族長はピ、副族長ならピピ、五位ならば、ピピピピピとなる」
あの指笛、そんなふうになってたんだ?
「みなが『ハルの名前を指笛に入れたい』から『四位』になったのだ
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