「え?」
「誰が危険、というときは、名前だけで最後を伸ばす。だから、『ハルが危険』という時はみなが『ピピピピー』と吹く。
それを聞いた全員が、ハルを助けるために、動く」
ぞわっとした。
「……順位って……『勝ち上がり』で変わるんでしょ?」
「そうだ、だから、順位、であって、名前ではない。
この前のガリからの笛で『三つ制圧したから進む』というのは、ピ、ピピ、ピピピピ、ピピ、ピピピだ。これで、『族長から副族長へ、制圧、進む、3』という意味になる」
モールス信号みたいなのでも無かったんだ? 短縮番号に定型文を設定した感じ?
「その『3』は、どこにかかるの?」
「三つ進むは、意味が通らないから、三つ制圧した、だな」
つまり、その場次第ってことね。
「全軍で来い、援軍をよこせ、負けてる、制圧した、現状報告しろ、面白いことがあるから来い。これらが、ピ、ピピ、ピピピ、と増えていく。
誰から、誰へ、指示、進行、数字、の順で、既に音が割り当てられている。ピピピピピピと、六回だけなれば、『面白いことがあるから来い』だから無視して構わない」
「……緊急度が高いものが、ピが少ないんだ?」
「そうだな。
伝令が、復唱されるまで遠くに駆けながら吹き続ける。聞こえたものはそこで復唱して、その音の反対へと吹きながら走る。復唱されたら、自分の居たところに戻る。一瞬で、山20向こうまで伝わる。ここでは……少し、遅いようだから、伝令を増やした。どうも、空が薄いからか、笛が遠くまで聞こえない」
たしかに、山の上より少し水色かな……
「ああ、……そら…………レイ・カの笛だ」
リョウさんが空を親指で指した。
「……聞こえないよ?」
キラ・シって耳まで凄いのね。高周波でも聞こえてるんじゃないの? 犬笛とか、聞こえそう。
「それに、レイ・カさんって近くにいないでしょ?」
「『レイ・カの名前の入った指示の笛』だ」
「……なんて?」
リョウさんが一度、拳で口元を拭うようにして、私を見る。
「嘘をつくな、ということだな」
「何の嘘? ……あ! サル・シュくんは嘘ついたよ!」
「あれは『変』だから仕方ない」
仕方ないんだっ?
『変』って万能だな! じゃあ、みんな『変』になったら、百石投げられないんじゃない! ああ、でも、強くなかったら、『変』だと捨てられるんだ?
「その『変』を差し置いて、ハルが部族四位だぞ?」
「信じられない……」
「頭突きでサル・シュに勝ったのだから、それも頭を使っているしな……」
クククククッ……ってリョウさんが笑う。楽しそう……
「あれは、サル・シュくんが攻撃させてくれたんだよ」
「『サル・シュに痛い目を見せる』という目的はかなっている」
「……そうだね」
「外ですればサル・シュはよけた」
「………………そう……だろうね……」
「その、『よけない場所で仕掛ける』のが、『頭を使った』ということだ。サル・シュの後ろに壁があることを見て突進したのなら、それはハルの攻撃が『ハマッタ』のだから、ハルの実力だ」
そんな考え方!
「サル・シュに痛い目を見せようとして、平手打ちなどを仕掛ければ、サル・シュはよけた。ハルの目的は叶わなかった。
あそこで、『ハルすら危険な頭突き』を選んだのが、良かった。サル・シュが避ければ、ハルが怪我をした。
つまりは、サル・シュが絶対によけないということを信じた。サル・シュが、女は助ける、ということを信じた。
信じたから『成った』のだ。
その判断は、合ってた」
「……そんなことを、あの時考えたわけではなかったよ?」
「考えてやっていなくても結果はそうなってる。
キラ・シも、戦っている時に、イチイチああなったらこうなる、こうなるからそうやる、なんて考えてはいない」
そっか……
「ガリの『山ざらい』も、やる前に笛で知らせてくれるが、伏せなければキラ・シの首も飛ぶ。仲間をよけては撃たないからな。一応、伏せたら当たらない所を薙いではくれるが」
ガリさん……
本当に無茶苦茶だよ、あなた。
まさか味方に当てないだろうと思ってたけど、あの時、ル・マちゃんをリョウさんが凄い怒鳴りつけてた。あれで、死ぬ可能性は、あったんだ?
「サル・シュが痛がることなどそうないから、本当に…………ハルがサル・シュに頭突きしたのはみな喜んでいたな。前線部隊も全員知ってるぞ」
伝達速いわキラ・シ。というか、痛い目を見て喜ばれてるって、サル・シュくんのいつもの行いが悪いんだよ!
あの時は、生理でイライラして突進しただけだったから、サル・シュくんがよけたら私が壁に頭をぶつけるとか、も、考えてなかったけど、たしかに全体を見るとそうなるんだ?
「完全なやつあたりだったし……」
「サル・シュはされるだけのことをしてるから、遠慮なく痛い目に合わせてやれ。それもあったから、あんな脅しを掛けて、ハルをハメようとしたんだ」
そこかーっ!
「サル・シュは、やられっぱなしでは、絶対にいないからな。自分が下にいるのはいいが、追い越されるのはイヤだ。ハルを四位だと全員に言われて、かなり焦ったんだな」
だからって、あんな報復……?
「ハルが十日ぐらい苦しむだろうと考えてただろうが、当日来て、肩すかしを食らった」
「十日も悩んでられないよっこんなことっ! いつお城移動とか、するかわかんないのにっ! ずっと気になるじゃないっ!」
まだ、リョウさんが笑ってる。
「サル・シュも、ハルのほうがかなり上手だとわかっただろうし、もう仕掛けてはこんだろう」
希望的観測だよね、それ。
「リョウさんのあとにサル・シュくんの所に行ったら『明日だ!』って追い払われた」
リョウさんがまた笑ってる。
「企みは外れたし、最中だし、それは、そうなるだろう」
あのサル・シュくんの、ル・マちゃんへの脅しが、『私に対して』だっただなんてっ!
そんなんありか。いや、あるんだからあるけど。
今さらムカツク……凄く……泣いたのにっ!
サル・シュくんが本当にル・マちゃん好きなんだ、って、あんなに胸が痛んだのにっ! 私への脅しだったなんてっ!
どうしてやろう……なんか、やり返したい…………
城壁の壁にぎりぎり爪を立ててしまったら指が痛くなった。
そっか、ここからは、玄関前が見えるんだ? そりゃそうか。そのための展望台だよね。
下から見てると気付かなかったけど、大きく敷石敷いてある。突然玄関があって驚いたけど、前庭の石垣をハマルに壊されたのかな? そうだよね。玄関が突然むき出しにはなってないよね。
お城に出入りする人達が忙しそう。あんなにあった鹿とか熊とかが全部なくなってる。どこに持って行ったの? 全部食べたの? サル・シュくんがいれば、なくなる? 他にも『から揚げは飲み物』って人多そうだし。
「リョウさん、熊とかどう……」
リョウさんが、私をギュッと抱きしめた。
「ガリがこの城によく帰って来るのは、お前がいるからだ。ハル」
一瞬で、冷たく、なった。
「お前がいなければ、レイのように、ガリはずっと前線にいた」
空が、北極の氷みたい。
黄色い川の向こうに続く青い色はさっきと同じなのに……
ザリ……って、展望台の石畳をこする、音。
後ろに誰か…………これは…………この雰囲気は……
息が、止まりそうに、なった。
ガリさんが、腕を組んで、立ってた。
「はっきりさせよう。リョウ」
低い声。
出陣の前に描くらしい隈取りが少し薄くて、表情が見える、ガリさん。
この二カ月、ずっと黒かったけど、お風呂に入るたびに薄くなってるみたい。この前、お風呂で女官さんを押し倒したらしくて、リョウさんに凄い怒られてた。たしかに、女の人に手が早くて軟派なんだろうけど、この人が硬派じゃなかったら、誰が硬派なんだ、って話。
怖い。
「お前がハルを連れてきた。だから、今年の権利はお前だ。だが、先々月も、孕み日を教えてやったのに、ハルを抱かなかった。先月も、な……」
え? それって、山を降りてたときから私に生理が来てるって知ってたってこと?
そうか。ガリさんはにおいでそれがわかるって……
生理最初の日から10日前。それが妊娠しやすい時期だ、って現代では言われてる。その時にホルモンバランスが変わるんだ。生理がなくても、排卵はされてる可能性があるから、生理がずれたのは、排卵がなかった、っていう証拠にはならないんだよね。実際、出産後、生理前に妊娠する人もいる。
『孕み日』がわかるっていう、ガリさんやサル・シュくんは、それがにおいでわかるんだろう。野生の勘にしても特殊すぎるけど、ル・マちゃんが本当だって言ってた。
ガリさんは、動いてないけど、なんか……黒いものがこっちに流れてくる感じ。
ああ、そうか。
リョウさんは、ずっと、私が嘘をついていたことを、知ってたんだ……
先月からじゃ、ない……
その前の月から、知って、たんだ……
山を降りてた時から、ずっと……
ラキから川を最初に越えたときに、リョウさん聞いてたよね?
『ハル、お前、怪我をしているか?』
『してないよ? ナニ』
『…………じゃあ、死体のにおいだな』
私は本当に怪我はしていなかったし、あのあと、すぐに死体が出たから、まったく忘れてた。
リョウさんは、私の血のにおいのことを聞いてたんだ。
多分『自分が働くことはない』と、あの時からわかってたんだろう。
私より目が良いから、私より先に死体を見つけて、ガリさんが『全部さらってる』ことを知ったんだ。
だって、あそこに死体があって、戦争の音がしてないって、そういうこと。
勝ち進んでいるから、『ここにいない』んだ。
負けてたら押し返される。戦場は近くにある。
あの時、橋の向こうまで全部死体だったから、戦争の音は何一つ聞こえなかった。
だから、あの時が唯一リョウさんの『ヒマな時間』だったんだ。だから、私に、聞いた。
あの時、私に生理があることを、言ってほしかったんだ?
キラ・シの人の喋り方って癖がある。
私の『翻訳』がいびつなだけかと思ってたけど……
『俺』『お前』って、キラ・シの人は滅多に言わない。殆どは名前を呼んでる。
『俺がする』、『お前がしろ』。
この一人称と二人称は、『強調』でしか、使わない。
普通なら、『する』と言えば、『する』と言った人がするんだ。『サナがしろ』と、名前を言うんだ。
女性は代名詞をよく使うけど、男性は使わない。
男しかいないキラ・シはそれが特化して『お前』すら、滅多に使わないんだ。
『ハル、お前、怪我をしているか?』
あの、言葉は、私の名前に『お前』がついて、凄く、強調の意味が、ある……
『いつまで嘘をつく気なんだ?』
ってこと、だったんだ。
リョウさんだから、『騙されてくれていた』んだ。
だから、サル・シュくんが、怒った。
いつまで彼を騙すのか、と。
『お前、ハル。リョウ叔父を、騙してる、よ、な』
あの時も『お前』だった。
本当に、怒ってたんだ……
「今月抱かないなら、その権利を捨てたと見なす」
リョウさんが、息を呑んだ。
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