余裕綽々で笑ってた目が、見開いた。
一瞬、うるっと揺れて、またたきして、大きく息を吐きながら背を伸ばす。民族音楽を演奏してるみたいに、髪の玉がカラカランと鳴った。
ガリさんが痛いから、教えてくれたんだ。
私が痛いのがいやだから、教えてくれたんだ。
ガリさんは無茶苦茶だけど、私を嫌いなわけじゃ、ないんだ……
私に、出陣を、祝ってほしいんだ?
私が、リョウさんを好きだから。
それでも、私の子供が欲しいから、最低限しか触らない、って、言って……くれてたんだ…………?
どうでもいいからじゃ……なくて……?
そうだとしたら、本当に言葉が下手すぎる!
「そうだ」
ガリさんがリョウさんを見て、私を見る。
「リョウの、すぐ下の弟だった」
リョウさんも、くちびるを噛んでた。
「お前なんか、次の戦で死んでしまえ……と言ったら、本当に、死んだ」
ガリさんの大きな手が、自分の胸を押さえて震える。
「ずっと…………あいつの刀が刺さったままだ……」
「勝って帰ってきてください!」
胸を押さえたガリさんの手を、私も押さえた。
そのまま、ガリさんが砕けてしまいそうに思ったから。そこから、ガリさんの大切なものが吹き出してしまいそうだったから!
灼い手。
少し震えて、でも、止まった。
大きな、手。
ガリさんの顔が、子供のように笑った。
どうしたらいい?
どうしたら一番いい出陣の挨拶になる?
「キラ・シの、永遠の勝利をあなたのこの手にっ!」
抱きしめられて、キス、された。
体の中がミキサー掛かったみたいに、ぐっちゃぐちゃに、なって……
流れ込んでくる、ガリさんの、心。
嬉しい、ありがとう、絶対に勝って帰ってくる!
キラ・シのために!
桜吹雪が吹き上がるように、熱いものがつま先から頭のてっぺんへ、駆け抜けて、行く。
「さぁっ…………全部さらえて来るかっ!」
ガリさんの溌剌とした笑い声が塔に反響して、青い朝日をもっと輝かせた。
【リョウ・カの嘘】
「嘘をつくな、ということだな」
自分の呟きに、うなずいてしまった。
レイから、援軍をよこせ、という指笛だ。
ハルには聞こえていないようだった。
『援軍をよこせ』というのは、緊急度は高いが、副族長である俺が『すぐに動く』必要の在るものではない。
なぜなら、それを聞いた者たちは、既に独自に向かっているからだ。
ガリも聞こえれば、出立する。もう、出ているかもしれない。城の中では気配を絶っているからどこにいるかはわからんな……
『援軍』であって『全軍』ではないから、『本拠地を移す』必要はない。つまりは、俺は城に留め置き、ということ。手配があるから、みなのいるところに居た方が良いが……
せっかくハルと二人きりなのだ。
その時間をもう少しだけ……
そう思ってしまった。
ハルの、この、白く甘いにおいの中に、もう少し、居たい。フロにも、入ってきたし……くさくはなかろう?
『レイが援軍を欲しがっている』と言えば、ハルは慌てて俺を玄関へと急かすだろう。
『急ぎではない』と、口から出かけた。
緊急ではないが、後回しにして良いことでもない。
「嘘をつくな、ということだな」
咄嗟に、ごまかしを口にしなかっただけでも、笑ってしまう。
嘘はついていないが、真実も言ってはいない。
元々が、戦のことに関しては、キラ・シは誰から指示をされるようなものでもない。各個が指笛で現状を伝え、それを聞いたものが勝手に判断して動く。
族長が死んでも、副族長が死んでも、その場で良いと思ったことを遂行していく。それがキラ・シだ。
だからこそ、山でも最強を誇ってきた。
他の部族は、族長が死ねば、武器を置くことが多い。
キラ・シに、そんな戦士は、いない。
族長が死ねば副族長が、副族長が死ねば三位が、すぐに族長に繰り上がって指示を出す。
山では、常に『村を守る』必要があるから、『待機部隊』というのがある。
実働部隊は三つに分かれて、三交代だ。小隊は三人か五人。それが一〇ほど集まって中隊。率いるのは、ガリ、レイ、ショウ・キ。それぞれが六〇人ほどを束ねる。
全軍で180人ほどだったが、今は、他の部族から来たものもいるから、200人以上。それを大隊としてガリが束ねる。
山では俺も中隊を持っていた。今も、この城の者たちが中隊と言えば中隊だ。女子供、それと、サル・シュ。
山を下りたときに、自然と、俺が子供たちを束ねていた。
ガリらは突っ走るから子供など任せられん。
速い馬がガリの隊に集まるから、自然と間が離される。その分、ガリの部隊が斥候もする。一番動く部隊だ。
本当なら、そこにサル・シュも入っていた。今は子守があるから真ん中にいる。俺も……そのまま、城のお守り……
俺だって、戦いたいのに……
だが、本当に、ハルが危ないから、気が気ではなかった。
ずっと騒々しかった。
こんな、朝早くに、こんな見晴らしの良いところで、二人でいるのは初めてだ。
ハルはただ、俺を見上げている。
細い、小さな女。
片手でポキンと折れるほど、小さい、体。
山の中で初めて見つけたときはどこの長老筋の者かと思った。あんな着物、誰が見たことがあっただろうか。
女だと言われ、抱えたら、なんと細いことか。
腕に骨がひっかかる。
細さはル・マより一回り細いが、ル・マでも、筋肉があるから、腰を抱き上げても骨は感じない。
つかんだ脇腹に指が沈み込んで、咄嗟に手をはなしかけた。
こんなに細いのに、指がなぜ、体にめり込む?
洞窟の女は、まるまると太っているから、指が沈むのはわかる。それでも、内臓まで触れそうな感覚など、ない。
だが、こいつは肋が指先に感じるし、その下はもう、何もない。脇腹からへそのくぼみまでが指一本分も無く、片手で腰を握っても持ち上がった。
「うぐっ…………痛いですっ!」
甲高い悲鳴。内臓をつぶしたか?
これは、少し力をいれたらへしゃげるのではないか?
なんだこの女は。なぜこんなに細い? もろい?
脇に抱えて、指先は触れないようにした。
凄く、いい匂いが、した。
「甘いにおいがする」
「シャンプーのにおいだと思います」
しゃんぷー? さっきも、ノートトエンピツとか、言っていた。知らない言葉が多いな。キラ・シ語では在るはずなんだが……
しかも、なんて細い髪だ。首からしみこんできそうではないか?
顎先に触れるたびにくすぐったい。
ル・マの髪でも、武器になるほど重たいのに、なぜこんなにヒラヒラと舞うのだ。
「なぜ、髪を伸ばさない」
キラ・シはみな、髪が長い。だが、キラ・ガンほど短くもない。
「クセッケなので……伸ばすと収拾がつかなくなるんです。この長さが手入れできるギリギリで……」
クセッケとはなんだ?
だが、喋っていられたのは、並足の間だけだった。
キラ・シは替え馬を使わないから、走っては歩かせ、歩かせては走り、頻繁に休憩を取る。その走ったときに失神しているようだった。
「リョウ・カっ! 前の! 寝てるぞっ!」
隣を走ってた奴に言われて、慌てて頭を固定した。口が開いてる。枝は落としてしまったらしい。はずみで口を閉じたら舌を噛んでしまう。仕方がないので、木の実を入れた袋をくわえさせて、紐でさるぐつわをかけた。
カクンカクン揺れる細い細い首が、そのまま千切れてしまいそうだ。ずっと顎から頭を抱きしめていた。
肘の内側の、柔らかい皮膚に、ささやかな胸の膨らみを感じる。
こんな体で子を産めるのか? 乳が出せるのか?
起きれば吐く。いつも青ざめていて、ものも食べない。どんどん冷たくなっていく。
このままではこの女は死ぬ。
失神している口に白樺の樹液をしたたらせた。蜜を含んだ花を押し込んだ。甘い果実を突っ込んだ。
どうにか目覚めた時に肉を食わせようとしたら食べられないという。ル・マが持ってきた栗を渡せば、そこについている薄い皮を白い白い指先にツヤツヤ光る爪でカリカリかいた。
ナニをしている?
それを全部剥いでから、食べた。
栗に薄い皮が……たしかに、ついてるな……キラ・シ全員、誰も気にしていないだろう。
くるみも、薄くついている皮を全部剥いていた。葡萄も、皮と種を出して、中の部分だけ食べている。
葡萄の種を出す? 皮と種を出してみたが、面倒臭くて、二個はできなかった。たしかに、多少苦みがないとは思うが、そんなもの、どうでもいい。というか、一個一個葡萄を食べない。一個一個食べる上に皮と種を出す?
この女は、俺たちと何もかも違う!
上等な扱いをしなければ、すぐに死ぬ!
なんて面倒な女なんだっ!
他の奴に任せたら、ぞんざいな扱いをしたので、説明するのも面倒臭いし、とにかくそばに置いた。それをからかわれもしたが気にしていられない。
目を離したすきに倒れる方がいやだ。
なれてきたのか、三つ目の崖を超えたころには、起きていることが多くなった。
その分、甲高い悲鳴に耳をつんざかれる。
しゃべる声は小さいのに悲鳴は大きい。これは、鍛えれば大きな声で話せるようになるな。声が出るうちは死なん。少しは、安心できたが……
「うるさい」
ガリに何度も脅されたが、仕方がなかろう。
葡萄の皮を向く女だぞ! 馬に乗ったのも初めてだろう。怖いに決まっている。
「その女の口に、ずっとお前のモノを突っ込んでおけ! 最後尾にいろっ!」
ラキに近づくころには、ハルに対するガリの怒りは最高潮に達していた。あそこであの建物が見えて気分が変わらなければ、くびり殺されていたかもしれない。
ようやく戦えた。
枯れ葉のように砕ける敵の戦士たち。刀にろくな衝撃もよこさない。
「斬った気のしないやつらだなっ!」
逃げる敵を追い駆けるのが好きなショウ・キですら、面倒くさがっていた。
ここらへんは四年前に熟知している。
そのままハマルまで行き掛けたが、戻ったら、実際、悲鳴が轟いていた。本当に目を離せない女だな!! あの悲鳴を次にガリが聞いたら、本当に喉をつぶすぞ!
しかも……サル・シュの腹に乗ってた……
ブチ切れたのは、初めてかもしれない。
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