「俺もガリも、ここに降りてきて、初めて知った。
女もちゃんと歩ける、ということを」
「健康なら誰でも歩けるでしょ?」
「キラ・シでは、女を、歩かせなかった。男でも凍り死にするような山の上で、大事な女を、誰も外には出さなかった。何もさせなかった。ただ転がっているしか、できなかった」
リョウさんが、泣いた。
「女たちは、うめきながら寝返りを打つ以外、何も、できなかった」
歯を食いしばって、リョウさんが震えだす。
「ル・マを、外に出すのを、みな反対した。だが、ガリは、族長が止めても、外に出してた。しばらくしたら、男の子供と同じようにル・マが歩きだしたのに、みな驚いた。
そのうち、サル・シュと走り回って、……小さな頃は、サル・シュより高い木に軽々登った。サル・シュのように普通に喋った」
おヒゲが、どんどん濡れていく。
「他の村でも、女は出さなかった。出していたら盗まれるというのもあったし、女があの寒さに耐えられるとは、誰も、考えていなかった」
知ったことで、つらくなるのって、どういえばいいんだろう。
「キラ・シの山でも、たまに耳が聞こえないとか、口が聞けないとか、手がないのとか、生まれた。見ておかしいのはそのまま滝に投げ込まれるが、そうでないのはしばらく育てる。耳が聞こえないのが一番分かりにくい。
耳が聞こえないと言葉を覚えられない」
「リョウさんの、せいじゃ、ないよ……」
「誰も…………女に、喋りかけなかった……っ……」
涙がだばだばって、ヒゲを滑り落ちていく。
リョウさんは、感受性が高いね。
ちゃんとそこで、女の人に感情移入して、泣いてくれるんだね。
「洞窟の中は、真っ暗だった?」
「そうだ、男が入るときだけ、たいまつを持って入った。女が暴れて焼けたら、死ぬから……
生まれた最初は付きっ切りだ。子の口に乳を含ませないとならないから。女たちはただ、転がっているだけだったから……」
真っ暗な中で、歩けもしないで、喋ることもできないで、話しかけても貰えないで…………
そうだね……
女の人達は、幼いころに、狂ってしまってたんだろうね。
私を拾った最初の頃、リョウさんがよく言ってた。
『女なんだから、剣も弓も使えんだろう。歩けるかどうかもわからん。怪我させるなよ。俺のだからな』
キラ・シの女の人はみんな怪我をしてるのかと思ったけど、そういう理由で歩けなかったんだ?
「動物を見ていれば、わかることだったのに…………雌は雄と同じように走り回っているのに……誰も、ヒトにそれを、当てはめなかった」
リョウさんの涙は、止まらない。
「恨み言を思い付くこともできない状況に、男がしたんだな……」
女のためだと、山では、言われてたんだ……って、リョウさんが座り込んで泣いてしまった。機織り職人さんたちびっくり。
「女の人が働き者で、感動してるんです。彼の村では、女の人が誰も働いていなかったから」
女の人が笑ってくれて、助かった。リョウさんも、すぐ顔を拭いて立ち上がってくれる。もう、泣いたかけらもないのが凄い。そうだよね、副族長さんがいつまでも泣いてたら、しめしがつかないものね。
「この服を貰って、みな助かっている、と伝えてくれるか?」
リョウさんは、奥の方にいた、枯れ木のようなおばあさんの手をとった。他にも数人、還暦を越えてそうな人がいる。
「女か?」
「そうだよ」
「長老か?」
「その身分は持ってないけど、お年寄り」
「オトシヨリ?」
「うん。オトシヨリって言うんだ。しわが出るほど生きている人を」
「たくさんいるぞ」
「うん。ここでは、生きていけるんだ。ほとんど歩けなくなっても……」
強さだけが指針のキラ・シ。
40まで生きないと言ってた。
『老衰』なんて、知らないよね?
殆どの人が戦いで死んじゃうんだよね?
「こんなになっても生きていられるなんて、いい村だな……」
熊さんの手で、しわだらけの小さな手をそっと撫でる。
「『長生きしてくれ』とは、どういえばいい?」
近くの女の人に、その言葉を言ってもらった。
「ナガイキ シテ クダサイ」
リョウさんが、オトシヨリ全員に言って回った。
オトシヨリが泣きだした。
他の女の人達も泣きだした。
凄く一杯、お辞儀されて送り出されちゃった。
そこを出たときに、リョウさんが、『内緒』という手の動きをした。
『変なこと』だから、キラ・シの人には見せたくないって?
「お年寄りに長生きしてくださいって、変なことじゃ、ないよ?」
「女ならばそれもいいが、男では、違う」
「どう違うの?」
「戦わずに逃げ続けた、ということだ」
そうくるかっ!
「サル・シュと俺を見ていてもわかるだろう? 長老筋は口が達者だ。今の長老も、なんでも知っていて、みなが頼った。だから、お前が死ぬと困るから、と、戦場でもかばわれたんだ。
だから、しわが出るまで長生きできた」
「長老ってそういう意味? 戦いで強かったから生き残ったんじゃ、ないの?」
「それならガリが長老になれる」
「ガリさんは長老になれないの?」
「最前線に立つ族長は、必ず戦で死ぬからな」
そうか……
「それで死ななかったら? そういう人もいるでしょ? サル・シュくんとか、殺せる奴がいないってリョウさん言ってるじゃない。なら、サル・シュくんも生き残るでしょ?」
「キラ・シの戦士は、強さだけがすべてだ」
「だから、生き残るよね?」
どんどん、森の中に入っていく。
「若いころは、強くなるばかりで毎日が凄く楽しい。今のレイのようにな。
30を越えると、とたんに、体が動かなくなってくるそうだ」
ゾワッ……てっ、なんか、サムッ!
「どんどん弱くなる、ばかりに、なる。
前は簡単に登れた崖に息切れするようになる。前は呼んだら来た馬がなかなか帰って来なくなる。動物は敏感だから、戦士が弱くなると、言うことを聞かなくなる」
馬ってそういうつながりなの!
「俺の父上が、そうだった。
まだまだ、強かった。ガリより強かったのに、『息が切れるようになった』とレイに呟いた三日後、滝に身を投げた」
「事故じゃないの? 落ちたんでしょ?」
「みな、そう言ってくれた。だが、レイが見てた。手を振って、大地を蹴って、飛び込んだ父上を……」
「だって……なんで? なんで自殺する意味があるの?」
「強くなれなくなったから」
キラ・シのバカっ!
「『今のままでいい』なんて、誰も子供に言わない。
『強くなれ』としか、言わない。
だから、『強くなれる』うちはみな必死だが、昨日より強くなれなくなった、時に、疑問がわく。
もう終わりかも……と」
「まだ、強いのにっ?」
「俺だって出陣したいんだっ!」
リョウさんが、叫んだ。
「子供のお守りなんてしたくないっ! みんな出陣してどんどん強くなってるのにっ……俺は戦えないから強くなれないっ…………もう、ここに降りてきて、三カ月も、戦って無い……………………ガリに言われなければっ、誰がっ、シロになんてっ、こもってるものかっ!」
そこも、我慢してた……の?
「弱くなるなんていやだ……父上の気持ちが、わかる…………弱くなるぐらいなら、今すぐ死にたい……」
「部族二位なのにっ!」
「父上も……二位だった……」
リョウさんが、泣き崩れる。
「部族で二番目に強いのに、弱くなることに耐えられなくて、身を投げた……俺も、そうなる……」
そうか……リョウさんが職人さんを視察して回るって、たんに目新しいからだけじゃ、なかったんだ?
『老人がいる』からだったんだ?
なぜ、そこまで長生きできるのか。それが、不思議だったんだ?
あの大きな体をこんなに小さく丸めて泣くほど、つらいんだ?
戦が好き、なんじゃ、ないんだ?
強くなれないことが、つらいんだ?
強くなるためには、戦に出ないといけないから、出陣したいんだ?
そっか……
人殺しが好きなわけでは、ないってこと、かな……
あんなに簡単に『口封じ』できる人だけど。
誰もいない森の中。
他の人に見られたくないよね。そうだよね。
私は、キラ・シの『強ければ正義』って考えじゃないから、言えたんだよね……言ってくれたんだよね。
言えただけ、マシかな?
私が、少しでも、リョウさんの役に立ったかな?
ガリさんは、こんなリョウさんを……知ってるのかな……
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