勝って帰ってきて、なんて、言えなかった。
勝たなくてもいから、帰って来てほしかったから……
帰って来て、なんて言えなかった。
そのまま戦いに行ってしまうかもしれないから……
勝利すら、祈れなかった…………
勝たなかったら、帰って来ないかもしれないと、思ってしまった、から……
ぐりぐりって、頭を撫でて、リョウさんは出て行った。ショウ・キさんが一緒に降りていく。女官さんが、ショウ・キさんの触った壁を拭いてくれて、においはマシになった。
「わかってるから、マキメイ! フロは入るから! お前、サル・シュの女だろっ! 触るなよ! 抱くぞっ!」
下の方で、ショウ・キさんが騒いでる。
凄い勢いで誰か駆け上ってきた。
「ハルナ様っ! サル・シュ様がどうかされたのですか?」
マキメイさんが、ゼイゼイいいながら、ドアにすがりついて、ヨタヨタとベッドまで来た。
「今のショウ・キさんの言葉は、マキメイさんはサル・シュくんの恋人なんだから、俺に触るな。って言ってたんだよ」
「あぁ…………はい…………そうでしたか……よかったです! ありがとうございます……」
「サル・シュくんは行方不明だけど、生きてはいるらしい」
「行方不明? サル・シュ様がっ?」
「戦の最後で姿は見たって。ガリさんもいないから、どこか見物に行ったんじゃないか、って話してたところ」
「凱旋されないのですか?」
ダヨネー。
「キラ・シにガイセンてっ言葉がまずないし、そういう習慣もないみたい。勝つ戦以外出陣しないから、勝ったことを喜ぶのは二、三日だけだって。
帰って来る間にその熱は冷めてるみたい。レイ・カさんとか、そのまま進軍したらしいし」
「……………………女には、祝わせていただけないのですね……」
胸を両手で押さえて、マキメイさんが泣きそうな顔をした。
「それは、リョウさんに言うわ。私も祝いたいもん」
「ですが、既に進軍されていたり、他にいかれているのでしたら、たしかに……このラキの辺境まで帰っていらっしゃるのは、時間の無駄でございますものねぇ……」
そうだよね。ここ、遠いよね。特に橋を壊しちゃったから。
「あ、話は変わりますが、リョウ様がお馬でお出かけになりましたが、いつごろお帰りでしょう?」
「わかんない。代わりにショウ・キさんがお城に居てくれるみたい……」
マキメイさんが頭を抱え込んで大きなため息をついた。
ショウ・キさんはまったくラキ語が話せないから、女官長としてはつらいだろうな。というか、それって私が毎回通訳しないといけないってことじゃないのよっ!
ショウ・キさんは『他人の女』に絶対触りたくないらしく、このお城の女の人を遠巻きにするから話がしにくい。
このお城に、ショウ・キさんお手つきの人がいないんだよね。女の人がみんな地雷で、つらいから居たくない、って言ってたのに、かわいそう。
つまりは、ショウ・キさんも、自分の恋人を他の男の人達に触られたくないんだよね。
でも、リョウさんの代わりなら、たしかに、将軍クラスが居てくれないと困るしね……
サル・シュくんの顔を見て、早く安心したい……
どうか、つつがなく……じゃなくて、キラ・シに都合の良いように日々が過ぎますように!
「ハルナさん、副族長から伝言だよっ! 玄関に来てくれって」
小さな子が私達の部屋に声を掛けてきた。
「えっ、リョウさんが帰って来たの!」
慌てて下りたら、玄関フロアにはどこにもあの熊さんはいない。隠れられる大きさじゃないのに!
ショウ・キさんが私に手を振ってた。
「おう、ハル! リョウ・カはまだ帰って来てない。ガリメキアのところに行くときにこいつに会ったらしくて、伝言してきた」
でっっかいショウ・キさんが、若戦士の頭をぐりぐりする。
なんだ……リョウさんいないのか……
「ハル。シャキの戦士だと。話を聞いてくれってさ」
若戦士が縛り上げてる黄色い鎧の人。
いきなり馬に乗せて連れてきたんだろう、何度も吐いたみたいで泣きはらしてぐっちゃぐちゃ。クサイ。これは相当クサイ。
エントランスに出てもらった。マキメイさんが、私に温石帯をグルグル巻きにしてくれて、コートを掛けてくれて、足元に毛皮を引いて、椅子をおいてくれた。
そして、風を遮るように衝立を置いてくれた。私ににおいがこないように風上に……マキメイさん……ボーナスあげるからね!
「どこから連れてきたの?」
「そいつに聞いてくれ」
ショウ・キさんは、ご飯茶碗をその人に渡した。ガツガツ食べてる。胃は大丈夫?
とりあえず、ご飯を食べてもらって、落ち着かせた。
聞いたことをノートに鉛筆でまとめて、玄関の中でショウ・キさんと打ち合わせ。あの兵士さんは外でキラ・シに囲まれて座ってる。
「先にシャキが5000の援軍を出して、そのあとずっと斥候を出してたから、全滅したことがすぐわかったんだって。
だから、先に一万、次に2万の部隊を出したら、一万が簡単に撃破されて、逃げ帰った一部が二万と合流したんだけど、その二万も、そこで一気に6000人ほど、ガリさんの『山ざらい』で将軍もろとも死んじゃって、半分以上がそこから自分の家に逃げちゃったって。
それで、この人は逃げ後れて、キラ・シにつかまって、「お前の家に連れて行け」って脅されて、馬でシャキの首都まで案内したら開放されたんだって。
そこで逃げようとしたら、城の前に布陣してた6000をガリさんが『山ざらい』して、城門の上が崩れて、みんな逃げたのに、ガリさんたちも逃げたから、その時またさらわれてここまで連れてこられたって。
シャキに帰して下さい、ってさ」
「その通りだな」
ショウ・キさんが頷く。
そっか、ショウ・キさんはガリさんと出陣してたんだ?
そのシャキの兵士に、竹簡と筆を渡して、名前と住所を書いてもらった。
シャキって『車李(しゃき)』なんだ? 漢字だ! この世界に『漢』って国がなかったら『漢字』ではないだろうけど。それいうと『商人』だって違う呼び方だよね? まぁ、『私の耳にそう聞こえてる』だけだから、本当はナニ喋ってるのかわからないよねぇ。
「キラ・シがお願いに行くかもしれないから、嘘ついたら、その時殺されるよ? これ、嘘書いてないよね?」
脅してみた。ガチガチ歯を鳴らしながらコクコクうなずく兵隊さん。ごめんね。
「この人、どうするの?」
「……次に誰かが川の向こうに行くときに、連れて行く」
「車李まで?」
「そこらへんで下ろすだろう」
「帰れる?」
「知らん」
ショウ・キさんは、今の私の報告を若戦士に復唱させて、出した。リョウさんに報告するらしい。
「なんで、書かないの?」
「何を?」
「伝言、せめて、竹簡か布にでも書かないと……」
「リョウ・カに言ってくれ。何を言ってるのかわからん」
「……キラ・シに『字』はないの?」
「ナニカ知らんが、ハルが言っているものを聞いたことが無い」
字が無い!
今まで気にしなかった。まさか、無いなんて思ってなかった。あの指笛のシステムとか凄いから!
だから、指笛で言えないことは伝言ゲームになっちゃうんだ?
字がなくてこれって、キラ・シ凄くない?
とりあえずまとめておこう。
最初に、ガリさんが橋辺りで殺したのが5000人
援軍一万と二万。殆どは逃げてるけど、どうだろう? これって、シャキの軍隊としてもう一度出てくるよね? でも、もう、ガリさん見たら逃げそうだけど。
で、城の前に六千が出てたけど、『山ざらい』で逃げたのに、奥からまだ出てきたから、ガリさんも逃げた、と。
全員が、もう一度出陣していない前提だと、これだけで、41000人いる。
一軍が12500人って言ってたから、三軍で37500人の筈。逃げた数千人が二度三度出陣したか、シャキがそれ以上に軍人を抱えているか。
どうだろう、お城を守ってる近衛兵とか、数に入ってないよね?
うーん……あまりにも情報がなさ過ぎて何も考えられないな。
「マキメイさん、書庫があるって言ってたよね? 中身読めるかな?」
「わたくしどもが掃除しておりますので、入れますよ」
案内された先は、丸めた竹簡が詰み上がった倉庫だった。
小学校の時は近所の小さな本屋さんしか見たことなかったのに、高校生になって都会のジュンク堂とか、紀伊國屋書店とかを見たときみたいな、感動。
読める本がこんなにあるっ! っていう。いやいや、必要なのだけ読んでいかない時間ないよ。読めるかどうかがまずわからないし……
手近のを開けてもらったら、べろんと竹簡が広がった。
あ、読める。漢字っぽい。漢文なんだろうけど、ラキ語がわかったみたいに、なんか、『わかる』わ。よかった!
しかも、物量では『凄い数』に見えたけど、竹簡だから、一巻が、長くても100本ぐらい。つまりは100行しかない! 漢文の分、一行の情報量は日本語より多いけど、それでも、300行ぐらいの文字数しかない!
あ、私、竹簡一巻、10秒で読めるわ。速読できるし。メモしながらだともうちょっとかかると思うけど。ノートはこれだけで埋まるだろうな。ノートはまとめにしたいから、メモは竹簡を用意してもらおうか。
鉛筆で竹簡の端にちょっと文字を書いたら、一瞬で先端がなくなった。だよね、どれだけ綺麗に研いでだって、木の繊維そのままだもんな。鉛筆はガンガン削れるよね。
となるとやっぱり筆が必要なのか…………
鉛筆に頼るより、私が筆になれる方が早いか……
ノートには鉛筆で書く方がいいんだから、鉛筆は温存、と。
他の部屋がどれぐらいあるかわからないけど、この部屋だけなら一カ月ぐらいで読めそう。
付箋も欲しいな。どうしたらいいかな……
紅墨で印つけたら簡単だけど、これ、歴史資料かもしれないしなぁ……イヤ、それは300年後に考えることで、焚書しなければ、メモ書いてもいいよね!『今現在必要』なんだから! と、割り切ろう。
「マキメイさん、この竹簡を棚から下ろして、20巻ずつ開いて積み上げてくれる? この通路に一列に。私が読んだら右側においていくから、それを巻いて棚に戻して。私の後ろに置いた竹簡は、あとで読み返すから、入り口に近い棚において。
それと、墨と筆と、この竹簡の白いのを山ほど持ってきて。
ご飯食べてくるから、しておいてくれる?」
「わかりました!」
戻ったら、既に100巻ぐらい開かれてた。よし、読むぞ!
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