「ハル? 大丈夫か?」
「大丈夫じゃないな。目開けて寝てる」
「寝てないよっ!」
ル・マちゃんとサル・シュくんに覗き込まれてた。
玄関だ。
ああ、失神しちゃったんだ? というか、心臓動いてるっ!
良かった! 生きてたっ! というか、あのタイミングでなら、死んでくれても良かった!
今度はル・マちゃんの馬に乗せられてる。
「崖が怖くて失神するのはわかったけど、なんで今失神した? あのカイダンってのも、あの崖ほどじゃなかったし」
サル・シュくんにしみじみ問われた。
「血溜まりが怖かったんだよっ」
「血溜まり? 人が死ねば血は出るだろ。ハルの中にも流れてる」
ル・マちゃん相変わらず殺伐。
「いやいやいやいやいやいや……私の中にあったって、頭蓋骨がそこにあったら怖いよ! 人の血が流れたら怖いよっ!」
「自分の血よりましだろ」
あーもー…………、サル・シュくんもル・マちゃんも、意味わかんない、って顔してる。
「私は、高いところと、死体と、血が怖いのです」
無理でも言ってみた。とりあえず言ってみた。
「そうか……じゃあ、見せないように気をつけるか……」
「だな」
わかってはくれたらしい。良かった。
「目を潰せ」
ガリさんが怖いこと言う……
もう、ル・マちゃんの胸に顔を埋めて泣いた。
あれ? なんでガリさんがココにいるの?
「ハルの目が見えなくなったら困る」
リョウさんの声だ。
つまりは、ガリさんはリョウさんにも、私の目を潰せって言ったってこと? ホントに酷い人だあの人。
「叫べないように舌も抜け。大事に叫ばれては危機だ」
「ハルはラキ語ができる。喋れないと困る」
「叫ばせるな」
「ああ」
うー……この毛皮はリョウさんの毛皮のにおいだ…………泣いてる失神したんだ私。その間にリョウさんの馬に移ったんだ?
というか、なんでそんな簡単に失神するかな、私。そんなこと『現代』だと一度も無かったのにな……
ああ、まぁ……疲れてるよね。失神というか、体力が切れて寝てしまってるんだろうな。
目を閉じてるけど、めっっちゃガリさんの視線を感じる。
視線が痛い。
物凄く邪魔者と思われるの、わかる。
確かに、なんかあったときに私が叫んだら、大変なことになるんだ? そりゃそうだよね。これから、こんなことが立て続くんだよね、そうだよね……
「叫ばないよ……」
「……起きていたのか」
「泣くかもしれないけど、死んでももう、叫ばない……」
私がキラ・シを窮地に陥れるなんて、冗談じゃない。
キラ・シは女の人に過保護だと思ったけど、そうだよね。『人権』とか『フェミニズム』ってものを認めて優しいわけじゃないんだよね。子供が産めたらいいんだよね。だから、見えなくても、喋れなくてもいいんだよね……
暴れたら、手足を切断されるかもしれない……
「そんなことはさせないから……ハル…………」
今はリョウさん優しいけど、今でもこのお城で数十人の女の人がいる。『子供を産ませたい』だけなら、私の価値はどんどん下がる。
キラ・シに有用じゃないと、守って貰えない……
リョウさんに、いつ見放されるかもわからない。
私が死ぬ方法って、たくさんあるんだなぁ。
崖から落ちても、多分現代に戻っても、死ぬけど……キラ・シに見放されても、死ぬんだ……
多分、最初にあの崖でリョウさんじゃなくガリさんに見つかってて、ガリさんのものになってたら、『目を潰せ』って言う前に潰してるよね、ガリさん。
本当に、リョウさんに見つけてもらってラッキーだった。本当にラッキーだった!
あの時、側にガリさん居たんだよ。本当に、どちらに見つかるかは秒差だったんだと思う。
それに、こんな世界で、私一人置き去りにされたら、もう、何もできない。この時代のお金も持ってない。武器も使えない。何も、価値が、無い……
あの、山の中で拾われて、凄い、ラッキーだったんだ。
飢え死にするとかそんな問題じゃなくて。
キラ・シに『女の人がいない時期』に、リョウさんと出会えた。
多分、明後日会ってたら、もう既に何十人の女の人がいるから、私のことは誰も見てくれない。下っぱの方の人に『所有』されたら、そもそも、こんなのんびりしてられなかった筈。
ラッキーだったんだ。
ラッキー、だったんだ!
副族長に見初められている今は、ラッキーなんだっ!
多分、夢が覚めたら私は死ぬ。
あの亀裂の底に叩きつけられて死ぬ。
その、たかが一分ちょっと間の夢なんだ。これは。
不条理でも、仕方ない。
私が、怖がらなければ、今日の私の不幸は一切起きなかったんだ。
崖で、高所恐怖症で叫ばなければ、馬は暴れなかった。血が怖いと叫ばなければ、ガリさんは私の目をえぐろうなんて、言わなかった。
私が、悪いんだ。
だから、私が、直せば、いいんだ。
怖がらなくなれば、いいんだ。
誰かを変えたい、んじゃ、ない。
私が変われば、いいんだ。
私が変わることは私一人でできるんだ!
ガリさんはガリさんで、部族の存続のために、危険な時に私に叫ばれて、位置を知られるようなことをしたくない、って意味で言ってるんだ。私が、不用意に声をあげるからだ。
ガリさんが私に冷たい訳じゃ、ない。ガリさんは部族が大事なだけなんだ。
ガリさんを、怖がらなければ、いいんだ。私が。
リョウさんだって最初は怖かった。でも今は、キラ・シの中で一番好き。それぐらいにガリさんも、好きになれば、いいんだ。
あとでル・マちゃんとサル・シュくんに、ガリさんのいいところ一杯話してもらおう。好きになれるところを探そう。会うたびに心臓が止まるような気分になるのはもういやだ。
もう、いやだ……
びっくりして、怖がって、足手まといになってる私がいやだ。
ここは、戦場なんだ。
私と同じぐらいのル・マちゃんでも、普通にささっと何十人を殺してしまう時代なんだ。
私と同じ年ぐらいのサル・シュくんが、既に三人子供がいる、そんな、時代なんだ。
キラ・シの、時代、なんだ。
『平成』を持ち込んでも仕方ない。民主主義なんてなんの役にも立たない。
ここは、死地なんだ。
弱肉強食の世界なんだ。
リョウさんの過保護が過保護じゃない、状態なんだ。
モヒカンにしてヒャッハー! って暴れるのがまだ近い時代なんだ。
うん。
私が、異分子なんだ。
他の人に、『平成』に生きられるようになって、なんて言えない。そんなことしたら即効で殺される。
「今日だけで、キラ・シの人達はどれぐらい殺したの?」
「小さな川が埋まって溢れるほどだ」
聞かなきゃ良かった。
うちの近所にも川があったけど、あの川、何百人いたら埋まるだろう。
「明後日の雨で、大きく溢れるかもしれんから、高台にいないとな」
「そんな急な事態っ? 近所の川でやったの? なんで川に落としたの?」
「通るときに邪魔だから、誰かが川にぽんぽん蹴ったんだ。二〇〇人がやったら、川が埋まった」
そっかー……
「キラ・シ凄いね」
「キラ・シは凄いぞ!」
「キラ・シは凄いぜっ!」
ル・マちゃんとサル・シュくんが目をきらきらさせて私の頭や背中を叩いた。痛い痛い。
「ガリさんは?」
あの怖い雰囲気がない。
「あっちの部隊に行った」
良かった……
「ガリはな、冷たい男では、ないぞ」
リョウさんが、ぱたぱた私の肩を撫ぜてくれる。
「うん……わかってる…………リョウさんが好きな人だもんね」
一瞬、肩を撫でてくれていた手が止まった。
そのまま、階段を下りていく。
「なぁなぁ、ハル! あの、なんかいいにおいすんの、ナニ? 食っていいのか?」
サル・シュくんが、用意されきったテーブルを指さす。料理並んでるっ!
あ、中華料理だ! 北京料理かな? 今、四川だと、吐くかもしれない。あまがらいにおいがしてるから北京料理だよね! 脂っこいけど、からいよりはましかも。女官さんが壁に並んでる。
「そうだよ、食事作ってくれたんだよ。リョウさん、あそこに下ろして? 椅子に座ろう」
「持って来させろ」
「馬の上で食べるのっ?」
「毒味をさせろ」
「ああ……うん、そうだね。それ大事だね」
マキメイさんにお願いしてみたら、逆に喜ばれた。皇帝に出す料理だから、自分たちが食べられるのうれしい、って感じらしい。リョウさんが納得したみたいだから、小皿に取って、持ってきてもらった。
そんな厳密に中華料理のナニがナニってわかるってわけじゃないけど、甘がらい北京料理だ! 北京ダックまである! こっちでなんて言うんだろう。
「美味しい……」
でも、毎日食べるのは勘弁、って味だな……濃い!
「…………これは、食い物なのか?」
リョウさんが小皿を床に投げた。
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