ル・マちゃんも投げた。慌てて女官さんが片づける。
「投げないのっ! 掃除が大変でしょっ!」
「なぜ砕けた」
「お皿は砕けるものなの!」
「なぜそんなものを使っている。危ない」
「この方が、便利だから。あんな風に並べたら綺麗でしょ?」
テーブルでは、女官さんが必死で大きな固まりのお肉を切り分けてる。
でも、リョウさんもわざと壊したわけじゃないよね……。そうだよね、肉を串に刺して焼いてただけなんだから、『お皿』をそもそも知らないよね。
サル・シュくんはお代わり頼んで、邪魔くさくなったのか、馬をテーブルに横付けして、私が一抱えするぐらいの大きさの大皿持ち上げて口に流し込んでる。
『からあげは飲み物です』系だ。
「うまいよこれっ、こんなたくさんあるのがまずいいっ! 全部食っていいんだよなっ!」
それ、美味しいんじゃなく、量がたくさんあるのが嬉しいだけだよね。
「マキメイさん、お肉とかお魚とか、焼いただけのものを持って来てもらっていいかな? 味付けが濃すぎて駄目な人がいるから」
「わかりましたっ! 今すぐお持ちします!」
後ろの女官さんが奥に走って行った。
「ハルナ様のお口には合いましたでしょうか?」
「美味しいですー。その、北京ダックをもう一つ!」
「ペキンダック?」
「えっと…………鳥の皮を白い生地でキュウリと一緒に巻いてるの」
「羅季(らき)巻きでございますね。どうぞ」
「ラキ巻きなんだ? これ美味しいっ!」
「ええ、美味しいですよね! わたくしも大好きでございます」
もう一つ取ってもらおうとしたら、向こうのテーブルの大皿を空っぽにしたサル・シュくんが、ラキ巻きの皿をガーッと流し込んだ。
「サル・シュくんっ! 全然噛んでないでしょそれっ! こんな美味しいものっそんな食べ方しないでよっ!」
「肉と瓜と菜だ。どう食おうがいいだろ」
「その細い体のどこにそんな量が入るのよっ!」
「細かねーよっ!」
あ、凄い怒った。一瞬で顔が真っ赤になった! さっき、ミアちゃん取り合ったみたいに。でも、皿は壊れないようにちゃんとテーブルに置いた。いい子。
「細い細いっ、サル・シュは細いっ!」
ル・マちゃんが手を叩いて笑ってる。ええ? ナニそれ、『細い』ってことがコンプレックスなの? ああゴメン、そんなつもりじゃなかったのよ!
「すぐリョウ叔父ぐらい大きくなってみせるさっ!」
「サル・シュは髭も生えないしなーっ! リョウ・カみたいにはでかくなれねーよっ!」
「え? サル・シュくん、髭、生えないの? 剃ってるんじゃなかったの?」
「誰が剃るかーっ! 髭がないと女扱いされてホントもうっ! 肚立つーっ!」
「まぁ、父上もそうだから、腐るな腐るな。リョウ・カより細くても、父上は部族一位だから、お前も将来はそうなるって」
ル・マちゃん、ゲラゲラ笑ってるけど、一応、慰めてはいるよね? それ。
「ガリさんも髭、生えないんだ?」
「そうそう、たまにいるんだよ。白くて髭が生えない奴。そういうのは大体細いし、非力だし」
「一五才で部族四位だぞっ! 非力じゃねーよっ!」
「ああ、白いんだ? たしかに、サル・シュくん、凄い白いもんね」
「うるせーっ! 好きで白いんじゃねーよっ!」
うわ、『白くて綺麗』ってもしかして、ウイークポイント? こんな、輝くばかりの美貌なのに!
「こういう白い奴って冬に真っ赤になって大変だから、黒くしようとして必死なんだ、サル・シュ」
「夏じゃなく、冬に赤くなるの?」
白い人は夏に日焼けしても赤く炎症起こして白く戻っちゃうんだよね。
『お父さんに似たら、ハルナも真っ白で綺麗になったのにーっ! なんでそんなところだけ私に似ちゃうのよーっ!』って、母さんに言われた言われた。でも、父さんが夏に困ってるのとか、かぶれやすいのとか見てるから、母さんに似て丈夫な肌で良かったと思う。
「冬は雪の反射があるから、夏より焼けるんだぜっ」
「キラ・シの山ってそんな雪凄いの?」
「一年の半分以上雪だぜ。そこで雪みたいに白いサル・シュは、雪焼けで真っ赤になって、居場所がすぐにバレルのっ! 漆にもすぐかぶれるしなっ!」
「ル・マだって白いだろッ!」
「父上譲りなだけだしっ、サル・シュより黒いよっ!」
「シル・アのが白いっ!」
「誰がもっと白かろうが、サル・シュが白いことに変わりねーだろっ!」
男子中学生のからかいあいでしかない。小学生かもしれない。ル・マちゃんの男の子具合がかっこいいわ、逆に。予知をする巫女の神秘さはまっっっったく、無い。
まぁ、周りに女の人が一人もいなくて、『女らしくしなさい』なんて言われなくて、側にサル・シュくんがいたら、こうなるよね。多分『女だから』とは言われ続けただろうから。それで部族五位って私の想像以上に、きっと、凄い筈。
「リョウさん、サル・シュくんとル・マちゃんっていつもああなの?」
こっくり。
ほとほとあきれてるって感じの無言、おかしいっ。
あ、焼き魚とかが来たっ!
「リョウさん、お肉を焼いてもらっただけのを持って来てもらったよ。これは食べられるんじゃない?」
魚を焼いたのと、お肉を焼いたのがまたテーブル一杯っ! 塩と、他のソースが小皿に並べられてる。
「これは美味い」
リョウさんが、塩の味を確認して、切り分けられたお肉を塩につけてご満悦だ。ル・マちゃんも、今度はガツガツ食べてる。ガツガツ食べてるっ! サル・シュくんより酷いかも……
「どうしてサル・シュくんもまた食べるのっ! さっき食べたでしょ!」
「食える時に食っとかないとっ!」
ああ……確かに、はい。そうですね。
「マキメイさん。キラ・シに出す料理は、味付け一切なくていいから、って料理長に伝えてくれる?」
「わかりました! ですが、ハルナ様は味付けがあるほうがよろしいのですよね? あの、白いお綺麗なかたも」
やっぱり、サル・シュくんは『大陸』視点でも綺麗なんだ?
「うん、でも二種類作るの面倒でしょう? 焼いただけのでいいよ」
「大丈夫でございますよ。陛下もお好みの激しいかたでございましたから。ご心配なく。ですが、ハルナさまのお心遣いは料理長にお伝え差し上げます。ありがとうございます」
礼を言われてしまった……
「これはなんの肉だ? 凄くやわらかいっ! うまいっ!」
ル・マちゃんが二皿目に突入っ! 大食い大会見てるみたい……………ホント、美味しそう。女官の人達もくすくす笑ってる。
たしかに、凄くやわらかい。こんなにお肉やわらかいと思ってなかったからびっくり! いつも母さんが作ってくれてた肉料理よりお肉がやわらかいわ。凄いわ。松阪牛ってこんな感じかなー。マキメイさんが嬉しそうに食材のいわれを教えてくれた。
「この国で皇帝陛下用に特別に育てている、ラキ鶏と、ラキ豚だって」
皇帝用に育ててるって……まぁ、そりゃそうか。
「ラキ鳥っ! それ、狩ってすぐ食った方が美味いんじゃないかっ! どんな鳥だっ! 見つけたら絶対狩る!」
奥からラキ鳥を出してきてくれた。茶色い鶏にしか見えない。私は多分、見分けつかないな。
「これがラキ鳥だっ! 美味いから、見つけたら絶対狩れっ!」
ル・マちゃんの号令にみんながオーッてなってる。
「でもそれ、ゲージの中でしか飼ってないって。野生にはいないらしいよ」
「なんだそれっ、どういうことだっ!」
ル・マちゃんに食ってかかられるって、凄い、怖い……迫力はガリさんと似てるんだな。サル・シュくんより怖い。
「家の中でしか飼ってないんだよ」
「カウってなに?」
「え? キラ・シも馬を飼ってるでしょ?」
「馬はカッテない」
「その馬は? 馬小屋とかに飼ってるでしょ?」
「こいつらは山から連れてきただけだ。戦士が死んだり、戦士が弱くなったら振り落として帰る。山の村に居たときは、村に入ったら馬を山に放す」
「え? 次に使うときはどうするの?」
「指笛を吹いたら来る」
「……それは、飼ってるんじゃ、ないの?」
んー、って、ル・マちゃんが眉を寄せて小首かしげた。
「ハルの言ってることがわからない」
「ハルの言う、『カッテ』というのはどういう状態だ?」
リョウさんが、これも大皿三枚目に突入しながら質問してくる。
「家の中に動物を飼って、人間が食べものをやったり、体を洗ったりして育てる、ってこと」
「なぜ家の中に動物を入れる?」
「え? ……逃げる、から?」
「逃げたのなら狩ればいい」
「生かしておかないといけないから」
「すぐ食うのなら、狩ればいい」
「うーーーーーんと…………養殖するとか繁殖させる、ってわかる?」
「わからん」
やっぱりかー……
「美味しそうな動物を家の中で育てて、子供を産ませるの。その子供を育てて、また、美味しそうな動物と掛け合わせて子供を作るの。そうやってどんどん『美味しそうな動物同士』を掛け合わせて、とても美味しい肉になるの」
「カケアワセル、とは?」
「美味しそうな牝の動物と、美味しそうな牡の動物で子供を産ませるの。ずっと何回もそれを繰り返すこと」
「人の手で、か?」
うわー、メンドクセーッ、ってル・マちゃんが叫んだ。サル・シュくんもいやそうな顔してる。
「その面倒くさいことを五〇〇年以上続けて、この動物の肉はこれだけやわらかくなったの」
「五〇〇年っ!」
うん、私もマキメイさんから説明されたとき驚いた。つまりは、少なくとも、ここの『皇帝』って五〇〇年ぐらい続いてる可能性が、ある。まぁ、日本の天皇も一五〇〇年だから、そういう血統があるのは理解できる。
「キラ・シの歴史も二千年だぞっ! その四分の一、そんな面倒くさいことをしているのかっ?」
「キラ・シって二千年も歴史あるのっ?」
二千年って日本以上じゃないっ! というか、『現代』にそんな王家、皇家ある? 二千年!
「キラが山に降りてきて一二人の子供を作ったのが丁度二〇〇〇年前だ。一〇〇年ごとに祭りをして、二〇回目の祭りで、祝いの火を点けようとした、その松明に落雷して火がついた、その瞬間にガリが生まれた」
出生から英雄じゃないよっ、ガリさんっ! ナニソレッ凄いっ!
「だから、ガリ・ア、だ。ガリは雷、という意味だ」
「リョウさんのリョウは?」
「水、だな。ガリのすぐあとに生まれたから、火が大きくなりすぎないように、らしい」
それで族長副族長って凄い。
たしかに、リョウさんがガリさんの火を消してる感じ、する。ガリさんは吹雪っぽいと思ったけど、そうか、雷なんだ? そりゃ怖くて当然だね。雷を背景に描かれた登場シーンが普通に思い浮かぶわ。そっかー、雷かー……
「ガリさんもリョウさんも、運命の族長、副族長なんじゃないっ! 凄いねっ!」
あ、なんか、頭かきながらあっち向いた。テレてる? この熊さんがテレてるっ!
リョウさんがあっち向いたそこにル・マちゃんとサル・シュくんが肉を銜えながら覗き込んでて、ニヒヒヒ、と二人、同じ顔で笑った。
「リョウ叔父好きだからな、この話っ! 酔うと必ず話すのに、しらふでも話してるよっ。よっぽどハルを気に入ったんだなっ」
ル・マちゃんに頭なでなでされて、リョウさんが真っ赤になった。かわいーっ!
「リョウさんとガリさん、誕生日が一緒ってことでしょ? 凄いよね!」
「山の人間は全員似たような日に産まれるから、同じ日に産まれることは珍しくはない」
「……なんで?」
「子供は秋に産まれるから」
「………………なんで?」
「初雪が降ったときに、部族の一位を決める。その一位から高い順に女を貰う。その十カ月後に出産だから、みんな秋に産まれる」
ほへー………………
「なんで初雪の頃にその競争するの?」
「食料の多い秋に出産をするためだ」
そんな理由っ!
「その時の食料を全部女に食わせて、子に乳をやる。その時に乳が少ない子は冬が越せないし、生き残っても強くならない。女は、肉じゃなく栗とか果物の方がいいようだ。その方が乳が出る。そういうのは、秋以外には無いからな」
「山では、食べるのに困ることが多かった、ってこと?」
「男が食べるものに困ることはない。なんでも食えるからな」
確かに、皿まで食べそうだもんね。
「栗は全部女のだよな。女が食べられそうに無い量取れたときだけ弱い男も食うだけで。俺もいつも、腹一杯食わされる……」
ル・マちゃんがくちびる尖らせてる。かわいい。そして、それを見てるサル・シュくんがまた、なんとも言えない微笑みで見つめてる。仲人したい人の気分がわかった! アーもーっ! 早く二人、くっついちゃえよっ! って背中押してあげたい!
そういえば、拾われた最初の焚火の時、サル・シュくんがル・マちゃんに栗を持ってきてた。私も一個貰った。あれ、女だから、ってのもあったんだ?
「女に肉をやると、吐き戻すことがあるからな……」
「そうなの?」
サル・シュくんまで目をまんまるにしてリョウさんを覗き込んだ。
「女は、食えるものが少ない。ル・マのようになんでも食う女は珍しい」
「俺はっ、男が食うものはなんでも食えるぜっ!」
「だからそんなに細いんだろル・マ。こんな小さいケツで俺の子産めるかー?」
「お前の子は産まねーっ!」
またサル・シュくんが、ル・マちゃんのお尻をがっつり掴んで顔を殴られて、巧い具合顔ガードして、殴り合いであっち行った。ホント……いつもなんだな、あの二人。
ハウ……て、リョウさんが二人見てため息。
「リョウさんも、ル・マちゃんにサル・シュくんの子共を産んでほしいんだよね?」
「あの二人なら、強い子が産まれるだろうしな。もう二年も子を産んでいない。山に居たときはみな嫌がっていたな」
「何を嫌がってたの?」
「子を産める女が子を産まないのは、許されない」
「でも、ル・マちゃんは産んでないよね?」
「『キラ・シの女』だからな。相手を指名する権利がある。相手がガリでなければ、誰もが歓迎したものを……」
「……でもね、リョウさん。女の子は、そんな小さい時に子供を産むと、死ぬ確率が高くなるんだよ。生まれた子供も、大変みたいなの」
「カクリツ?」
「死ぬ場合が多くなるんだよ」
「だが、血の道がつけば、子は産める」
血の道って生理のことだよね?
「それは産む準備をしてるだけで、健康な子供が産まれるのは難しいんだよ。
ほら……キラ・シの男の人も、最初からリョウさんみたいに強いわけじゃないでしょ? 最初は刀をもって練習するでしょ?
女の人もそうなの。若いうちの血の道は、十分体を育てるための練習なの。だから、その時に子供を産んじゃ、いけないんだよ。女の人のほうが死んじゃうの。出産って凄く大変なことだから」
昔は、出産で女の人が死ぬことも多かった、って聞いたことがある。今みたいに、二十歳過ぎても結婚しない人が多いような、そんな時代じゃなかったから、若い内に嫁いで、子供の体で子供を産んで、体が耐えきれなくて死んじゃうんだ。
「……そんなことは初めて聞いた……」
リョウさんが私の肩を撫でてくれてた手が止まった。その手を肩に置かれて、ずしっと重たい。
「だが、たしかに、元服したばかりの女が産む子は、弱い」
「元服って、大人になるってことでいい?」
「そうだ、女なら血の道がついたら、男なら白い道がついたら、元服する。男は元服して初めて出陣するから、みな待ち望んでいる」
なでなで再開。そして停まる。
「俺には兄が居るはずだった」
またなでなで。
考えてるときに手がとまるっぽい。二つのこと一緒にできないのかわいい。
「女を殺して生まれた子、というだけでも恨まれるのに、死んで生まれたから、即座に埋められた」
うん? 鳥葬のキラ・シで『埋められた』って、『埋めてもらった』じゃ、ない、よ、ね?
「産声もあげなかった赤子なのに、化物として、生まれ変わらぬように、地に埋められた。『ネスティスガロウ』とみな唱えたらしい」
寒けが、来たっ!
「『お前は地の底で永遠に苦しめ』という、キラ・シの呪いの言葉だ。弓指で四度突き刺して唱えると、呪いがかかる」
「それでっ! 人指し指……じゃなくて、この指で指さされると殺すんだっ? 痛いっ!」
ピッ、と人指し指を立てたら、たたき落とされて突き指したっ!
「この先、誰もいなかったじゃないっ! 誰にも呪いかけてないよっ!」
「雲の神、風の神がそこにいなかったと確認して言っているのか?」
「ごめんなさい」
そんな、透明な神様のことまで考えてなかった! 信心深いんだな。まぁ、昔なら当然か。自然神の多神教? アミニズムだっけ?
「指さすだけで呪いはかかる。次の新月までに、呪いを掛けた相手を殺して、その指を肉に埋めない限り、呪いは発効する。それに『ネスティスガロウ』の呪文が加わると、呪いが大きくなる」
「……呪いが発効したら、どうなるの?」
「大体は狂い死にするらしい。キラ・シは、そうなる前に殺すから、それ自体を見たことは、ないな」
「肉に埋める、ってどういう状態?」
「動物の肉にその人指し指を埋め込んで『見えなくする』ということだ。もちろん、その動物は食べてはいけない。万が一、キラ・シが指さされたら、指さした奴の目に、切断した指を突っ込む。『その世』に送って生まれ変わらないから、指さしたことを後悔させて地に埋める」
相変わらずの殺伐ぶりです、はい。
「ソノヨって、あの世の反対?」
「そうだ。『前世』で死んで『あの世』に行って、『今世』の『この世』に生まれ変わる。死んで『あの世』に行って、『来世』の『この世』に生まれ変わる。呪われたり、呪ったり、病で死んだものは地の底の『その世』で永久に凍りついて、『来世』に生まれ変わることはできない」
『その世』が地獄で『あの世』が天国なのかな? 炎で焼かれるとかじゃなくて、凍りつくんだ? キラ・シの山は雪が凄いっていうから、凍ることが一番怖いんだね。
「こっちでは、その指で人を指さすって……」
「知ってる。手を握る挨拶も、知ってる」
「知ってるのっ! なんで? 今降りてきたんでしょう?」
「違う。初めてここに来たのは四年前だ。だから、大体のことは、わかっては、いる」
「四年前? それから戦の準備してたの? その時に言葉も覚えたの? なら、どうしてあの時ル・マちゃんを止めなかったの? 挨拶だ、ってリョウさんは知ってたんでしょう?」
「あの時はル・マがあの男の一番側にいた。敵を殺すかどうかは、族長が指示することではなく、キラ・シの戦士全員が、自分で考えることだ。自分を殺しにかかる奴を殺すな、なんていう命令を、族長は出せない。それに、あの挨拶で、武器を持っていないとは言い切れない。
あの時は、ル・マが、ル・マ自身の命の危機だと感じて敵を殺した。それは、止められない。それを止める族長は、部族の者を危険にさらした、ということで、部族の者に殺される」
敵にも烈しいけど、味方にも烈しいんだ?
「ル・マが夢を見た。
『東に瞬く星がある』と。
輝く星は男、瞬く星は女だ。
ガリは、『東に女がいる』という先見だと考え、村の東を探し回った。一〇年以上探した。普通なら降りない崖を三つ下りた。
四年前にここに降りてきて、白い女を孕ませて、その子を連れて村に戻った。
キラ・シの子を産める女が『下』にいる、と。
三年待つから崖を降りられる奴は連れて行く、と」
「……なんで三年待ったの?」
「あの三つの崖は、ガリと俺だから降りられただけだ。だが、三年あれば、鍛練を積めば、降りられる者が増える。降りればすぐ戦になるから、人数は多い方が良い、とガリが言って、この人数が集まった。敵だったキラ・ガンからも、五〇向こうの山からも戦士が来た。山は空っぽになった」
え? それでも二百人ぐらいしかいないのに、二百人がいなくなって山が空っぽになったの? それで、女の人が二人しかいないの?
また、凄い、寒く、なった。リョウさんが肩をゆっくり撫でてくれる。
『絶滅寸前』だったんだ?
そんなに、緊急事態だったんだ?
二百人って、五クラス分だよ? それしか人間がいない状態で、女の人が二人なんて……孫の顔は、見られない、よね? どれだけガリさんが強くたって、一〇〇年は生きられないもの。
「俺の頭の中には、あの崖を降りられる数人で降りて、この大陸の隅で子を増やすことしか無かった。
ガリは、キラ・シだけではなく、キラの山全体のことを考えて三年待った。三年も経てば、反対勢力も強くなるのに、あいつは、待ち切った」
リョウさんが、泣いてた。
「あいつは本当に、『族長』なんだ。
自分一人、友人数人、じゃなく、部族全部を、助けた、英雄だ」
また、なでなで。さっきより重たいなでなで。
「だからな、ハル。ガリがハルを傷つけるようなことを言ったのは、ハルの悲鳴が、部族の危機をもたらすと、ガリが感じたからだ」
それは、わかって、る……うん。
「ガリは、キラ・シの部族のことしか頭に無い。部族を存続させることしか頭に無い。だから、一人一人に対しては平気で無茶を言う。
怖かっただろう?
許してくれ……」
なんで……リョウさんが、謝って、くれるの?
いつ、お城の外に出てたんだろう? 凄い、満点の星空。
その星より、リョウさんの顎からしたたる涙の方がキラキラしてる。
男の人って、静かに泣くんだな。私も、こんな静かに泣けたんだな。
いつも、怖いときに泣いただけだった。だから、悲鳴と一緒で、リョウさんに抱きついてただ叫んでた。
でも、嬉しくても、泣けるんだ?
リョウさんが、ガリさんを思っているその心が、綺麗で、嬉しい。
そのガリさんのことを、私に謝ってくれるその心が、嬉しい。
リョウさんの涙、あたたかいね。
嬉しい涙って、あたたかいね。
星が凄くたくさんだね。
「月が綺麗ですね」
言ってみた。言いたかった。ちょっと照れる。通じないのはわかってるから、気が楽。
「ああ……月が冴えているな。ガリも馬を飛ばせて、楽だろう」
ガリさんのことばっかり。
有能な副族長様。
「さっきの話だが……」
「どの話し?」
もう、リョウさんの涙は渇いていた。
「ハルに子を産ませるのも、あと数年、待った方がいいのか……?」
実は一七才ですって、絶対言えないシチュエーションっ!
「…………つ…………月が綺麗ですねっ!」
肩のなでなでが再開された。
しばらくなでなでされながら、リョウさんにもたれかかってほっこりしてた。
ああ……こんな『静か』な時間、久しぶりだなぁ……
満天の星空って言うけど、本当に、天の川とか凄くよく見える。オーロラみたいな空。
「どこにいくの? リョウさん」
リョウさんが馬をトコトコ歩かせ始めた。
「この城の裏を見たい」
最上階から死体を落とすって話しね……
「こんな真っ暗じゃ見えないでしょ?」
「…………ハルは見えないのか?」
「……お城の裏は真っ暗かな……」
「妙な模様の岩は見えないのか?」
「岩の模様……は、見えない、全然」
馬も危なげなく歩いてる。馬も見えてるんだ?
ドシャッ……って、なんか、不穏な、音が、聞こえた。
「なんの音?」
「ル・マが上にいる」
リョウさんが最上階を見上げた。
「ル・マちゃんが、どうし……て…………」
また、ドシャッって音が、して、私の肩の上を何かが通りすぎて行った……
さすがに、これだけ近くだと、見えたわ。
蒼い、虹彩の、眼球が。
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